以後に与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 01:37 UTC 版)
「ユトランド沖海戦」の記事における「以後に与えた影響」の解説
この海戦はドイツ海軍の戦術的勝利、戦略的敗北とよく言われる評価であるが、ではイギリス海軍は戦略的勝利を得たのかといえばそうとは言えなかった。 ドイツ大洋艦隊は損害を被ったものの未だ戦力を保持し続け、この後も幾度か出撃するなどしている。これに対してイギリス「大艦隊」は引き続き大洋艦隊に備えて北海に睨みをきかせ続けることを強いられ、よく見ても現状が維持されただけだった。 イギリス・ドイツ両国とも大型の戦艦を数多く揃えて、シーパワー獲得を目指したが、結局のところシーパワーを獲得するための道具として「戦艦」は強力ではあるものの完全ではなかった。大きくて高価な戦艦は、より小さくて安価な武器(機雷、魚雷、潜水艦など)からの攻撃に脆く、故に戦艦は自分と同じ戦艦相手でないと投入できない、極めて費用対効果の悪い兵器となった。 純粋な戦術面でも戦艦に限らず、そもそも水上艦同士の戦闘というものが本質的に双方が決戦を望んでいる場合(日本海海戦など)か不期遭遇戦(夜戦)を除いて、劣勢側は素早く退避して戦闘を逃れようとするので海上で決戦が起こること自体希であった。日露戦争の黄海海戦しかり、後年のアッツ島沖海戦しかりである。 この海戦を通じて当時の用兵家や思想家たちも戦艦の能力の限界を認識したが、その対策として彼らは戦艦という艦種の更なる強化を目指し、戦艦は高性能化する反面、更に大型で複雑、高価、費用対効果の悪化をもたらし、第一次世界大戦時以上に投入しづらい兵器となった。かくして国家の資源に占める戦艦1隻の割合は上昇し、戦艦はますます武器としての現実性を喪失していった。
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