以名取人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 02:24 UTC 版)
明の洪武18年の殿試前、朱元璋は夢の中で宮中に1本の巨大な釘があるのを見た。殿試後の答案採点に際し貢士の中に「丁顕」という名前を見つけた。これぞ夢のお告げと丁顕を状元に選んだとの伝承がある。 また永楽22年の殿試では、元来は「日恭」が状元に内定していたが、成祖が「日恭」を上下に併せると「暴」となり不吉であるとし、別の「邢寬」が「刑寬」に繋がることから状元に選ばれている。 清代同治年間の殿試では江蘇出身の「王国均」が内定したが、発音が「亡国君」と同音であることから三甲に落とされている。 光緒31年の殿試では成績最優秀者は広東人の「朱汝珍」であったが、太平天国の洪秀全、戊戌政変の康有為及び梁啓超、辛亥革命の孫文らが皆広東出身であったことから広東出身者は反乱を好むとの俗説が生まれ、また「珍」が妃と同字でありこれを避け、更に当時旱魃に見舞われていたことから「霖」「粛」の字を好み、最終的に直隷省粛寧県出身の「劉春霖」が状元に選ばれ、「朱汝珍」は榜眼に終わる結果となった。
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