以後の会社の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/01 00:42 UTC 版)
アウグスト・ボルジッヒの死後、同社は息子アルベルト・ボルジッヒ(ドイツ語版)の指導下で拡大した。 1000両目の機関車の完成時には、多くの著名な客(その中にアレクサンダー・フォン・フンボルトもいた)を招き大きな祝賀が開催された。当初50人の労働者で始まった会社は、2800人の従業員を擁していた。同社は拡大を続け、1862年に生産の一部をシュレジエンのツァブルツェへ移転した。1872年に、ボルジッヒはヨーロッパで最大の機関車メーカーになった。アルベルト・ボルジッヒはドイツ機械製造社をドルトムントのケルン-ミンデナー鉄道沿いに共同で設立した。しかし、ボルジッヒ最盛期は1878年にアルベルトの死で終わった。 以後も創業家主導が続き、多数の機関車を造り続けたが、他社にシェアを奪われ、危機に瀕した1930年にAEGと合併。以後もボルジッヒは、世界速度記録をもつドイツ国営鉄道(DRG)05形(200km/h以上を出した最初の蒸気機関車)のような、多くの有名な機関車を造ったが、合計16,352両の機関車製造の歴史は、1954年を最後に終わった。
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