以後の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/16 03:39 UTC 版)
1810年以降、この軍勢は「ブラウンシュヴァイク=リューネブルク猟兵」(「ブランズウィック=エールス・イェーガー」(Brunswick-Oels Jäger)とも呼ばれた)としてウェリントン公の指揮下に半島戦争に参加し、そこでもヴェストファーレン王国の部隊と対峙した。ナポレオンの敗北後はブラウンシュヴァイクに戻り、新設されたブラウンシュヴァイク近衛大隊の中核を成している。同大隊は1815年、カトル・ブラの戦い (Battle of Quatre Bras) とワーテルローの戦いに参加した。 何度も改称された後、「黒い軍勢」を前身とする正規部隊は最終的にプロイセン軍に編入され、「第17ブラウンシュヴァイク・フザール連隊 (de:Braunschweigisches Husaren-Regiment Nr. 17) 」および「第92ブラウンシュヴァイク歩兵連隊」となった。
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