付属医院開設
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「オウム真理教附属医院」の記事における「付属医院開設」の解説
このような紆余曲折を経て、同医院は1990年6月1日に開設された。当初アストラル・クリニックの名称で保健所に届出をしたが、保健所より「オウム真理教の関連施設」と分かる名称でないと受理できないと言われたため、この名前に変更した経緯があった。院長は一般的に「治療省大臣」の林郁夫といわれているが、保健所に届出された管理者は医師の平田雅之、医院顧問は教団最古参幹部で鍼灸師の大内利裕であった。教団のパンフレット『病は癒える』1990年4月号によれば院長が平田雅之、顧問が中川智正、その他の医師として片平建一郎、佐々木正光の名前が挙げられている。 入り口の看板では「内科、外科、整形外科、小児科、神経内科、精神科、産婦人科」を掲げ、「入院応需」「各種保険取り扱い致します」という記述もあり、信者だけでなく一般人も受け付けると見られていた。 事前の宣伝では4月下旬にも開院するはずであったが、中野北保健所が何度も説明したにもかかわらず必要書類を揃えられず、申請書類の不備で受理できずに開院が遅れた。法人が開設する場合定款や責任者氏名を明確にする必要があるのにそれを明らかにするだけで2ヶ月かかっているという。また医師、看護師など医療従事者の国家免許証を添付しなければならないのだがそれも提出されなかった。申請ではX線撮影設備があり放射線防護壁が必要であったが、これも設備がなかった。理由が教団側の不備にあるにもかかわらず、教団側は「許可が出るのが遅い」とクレームを付け、教団顧問弁護士が「遅れた責任を取ってもらうぞ」と脅しめいた苦情を言って来る始末であった。 しかしあらゆる難病奇病を治せると大宣伝しているこの附属医院は、しばしば自分の病状が悪化していると述べる麻原彰晃の病気を治せなかった。1995年4月1日に佐々木正光が麻原について肝硬変、Q熱、慢性心不全、心内膜炎の疑い、皮膚炎と5つもの病名を挙げて「約1ヶ月の加療及びベッド上安静が必要であると判断する」との診断書を作成したが、1995年5月16日に逮捕された麻原は健康上何の問題もなかった。
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