付属医院開設とは? わかりやすく解説

付属医院開設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 18:18 UTC 版)

オウム真理教附属医院」の記事における「付属医院開設」の解説

このような紆余曲折経て、同医院1990年6月1日開設された。当初アストラル・クリニックの名称で保健所届出をしたが、保健所より「オウム真理教関連施設」と分かる名称でないと受理できないと言われたため、この名前に変更した経緯があった。院長一般的に治療大臣」の林郁夫といわれているが、保健所届出された管理者医師平田雅之医院顧問教団最古参幹部鍼灸師大内利裕であった教団パンフレット『病は癒える1990年4月によれば院長平田雅之顧問中川智正その他の医師として片平一郎佐々木正光の名前が挙げられている。 入り口看板では「内科外科整形外科小児科神経内科精神科産婦人科」を掲げ、「入院応需」「各種保険取り扱い致します」という記述もあり、信者だけでなく一般人受け付けると見られていた。 事前宣伝では4月下旬にも開院するはずであったが、中野北保健所何度も説明したにもかかわらず必要書類揃えられず、申請書類の不備受理できずに開院遅れた法人開設する場合定款責任者氏名明確にする必要があるのにそれを明らかにするだけで2ヶ月かかっているという。また医師看護師など医療従事者国家免許証添付しなければならないのだがそれも提出されなかった。申請ではX線撮影設備があり放射線防護壁が必要であったが、これも設備がなかった。理由教団側の不備にあるにもかかわらず教団側は「許可が出るのが遅い」とクレーム付け教団顧問弁護士が「遅れた責任取ってもらうぞ」と脅しめいた苦情言って来る始末であった。 しかしあらゆる難病奇病治せると大宣伝しているこの附属医院は、しばしば自分病状悪化していると述べ麻原彰晃病気治せなかった。1995年4月1日佐々木正光が麻原について肝硬変Q熱慢性心不全心内膜炎疑い皮膚炎5つもの病名挙げて「約1ヶ月加療及びベッド上安静が必要であると判断する」との診断書作成したが、1995年5月16日逮捕され麻原は健康上何の問題もなかった。

※この「付属医院開設」の解説は、「オウム真理教附属医院」の解説の一部です。
「付属医院開設」を含む「オウム真理教附属医院」の記事については、「オウム真理教附属医院」の概要を参照ください。

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