今も愛される歌声
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:07 UTC 版)
本田は入院中、他の入院患者とのふれ合いやファンや仕事仲間からの応援メッセージによって励まされていた。そして自らが病気を克服し再び元気な姿でステージに立つことが同じように難病に苦しむ人の希望になると考え、亡くなる半月ほど前の10月19日に難病患者を支援するための活動として“LIVE FOR LIFE”を立ち上げた。彼女の遺志は遺族や友人、関係者によって受け継がれ、現在はNPO法人として運営されている。この“LIVE FOR LIFE”の協賛により本田の追悼イベントが各地で開催されている。 子供好きな本田は自身の晩年期、子供が虐待などの被害者となる事件が増加していることに心を痛め、恵まれない境遇にいる子供たちのために何かできることはないかと考えていた。この思いを叶えるため、2006年(平成18年)9月本田の遺族は彼女が生前使用していた車をインターネットオークションで売却し、その代金で埼玉県の児童養護施設20ヶ所に寝具100組を寄贈した。 亡くなった翌年に岩崎宏美がカバーアルバムのシリーズ第3弾『Dear Friends III』(2006年9月27日発売)に収録する曲目のリクエストを募集したところ本田の「つばさ」が圧倒的1位になり、このアルバムの終曲として収められた。岩崎はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演したアルバム『PRAHA』(2007年9月26日発売)にも本田への献辞とともに「つばさ」を収録している。岩崎は「彼女のために生まれた歌を、私も大事に、大切に歌い継いでいきたい」と述べている。 大相撲の白鵬はファンからプレゼントされた本田のアルバム『アメイジング・グレイス』を愛聴している。このことを知った本田の所属事務所は2006年(平成18年)の夏場所中に宮城野部屋を訪れて、この年の4月に朝霞市で行われた追悼展のグッズをプレゼントして激励した。 井上鑑が入院中の本田に復帰第一作としてプレゼントした楽曲は彼女自身が作詞して歌う予定でいたが実現することはなかった。彼女の遺志を叶えるため、本田の書き遺した言葉をもとに一倉宏が歌詞を補作し、井上の呼びかけに応じて集まったミュージシャンが“INOUE AKIRA & M.I.H.BAND”の名義で追悼シングル「wish」(2006年11月1日発売)を完成させた。 ヘイリー・ウェステンラは2008年(平成20年)5月21日に本田の残された音源との仮想的なデュエットによる「アメイジング・グレイス」を収録したシングル「アメイジング・グレイス2008」をリリースした。本田の2004年(平成16年)のライブ映像と並んでヘイリーが歌うプロモーション・ビデオも併せて制作されている。ヘイリーは「本田美奈子さんの歌手としての生き方を知り、彼女の歌う“アメイジング・グレイス”は、希望の心を歌っていると私は感じました」と語っている。 同年11月5日には太田美知彦が「つばさ」のセルフカバーを発表した。このCDには同時に太田が本田のボーカル・トラックとデュエットしたバージョンと、愛・地球博の記念コンサートで本田と共演して以来交流の続いていた愛・地球博記念市民合唱団によるバージョンが併せて収録されている。また翌6日にはクラシック・アルバムの楽曲をボーカル・トラック以外を編曲し直してリミックスしたアルバム『ETERNAL HARMONY』が発売された。このうち「アメイジング・グレイス」はブライアン・メイが編曲・録音を担当した。メイは「すべてのブレスや発音が聴き手に漏らさず届くように完成させました」と述べている。
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