人物像と当時の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:13 UTC 版)
「ムーレイ・イスマーイール」の記事における「人物像と当時の評価」の解説
ムーレイ・イスマーイールの主な性格は、当時の記録と伝説によれば彼の「秩序と権威への傾倒、ならびに鉄の意志」にあった。 彼の強大さと権力はこの不屈の意志に支えられており、「もし神が私に王権を与えたなら、人間がそれを私から奪うことは不可能だ」と彼が発言したという記述もある。この意志は彼の行動と決定において常に明白だった。ドミニク・ブスノによれば、彼の服の色が彼の気分に関係していたという。 緑は最も機嫌がいい色である。 白は彼に親しい人達にとって良い兆候である。 しかし彼が黄色の服を着ている時、それは彼の最も血なまぐさい処刑の日に彼が選ぶ色であるため、世界のあらゆる物が彼の存在に戦慄して逃げていく。 — ドミニク・ブスノ『Histoire du regne de Mouley Ismael roy de Moroc, Fez, Tafilet, Soutz etc』1704年、38頁 当時のヨーロッパ諸国では、イスマーイールが残酷で貪欲で無慈悲で嘘つきだと考えられていた。特に注目を集めたのは、彼の残酷ぶりと暴虐ぶりだった。怠け者だと見なされた労働者や使用人をイスマーイールが容易に斬首したり拷問できていたとの伝説が沢山ある。キリスト教徒の奴隷について、イスマーイールは26年間の治世で36,000人以上を殺害したというが、これは誇張のようである。しかし、当時のフランス外交官 (François Pidou de Saint Olon) によると、イスマーイールは20年間の治世で2万人を暗殺したという彼は、ドミニク・ブスノを含む多くの著述家に「血に飢えた怪物(bloodthirsty monster)」と評された。 彼はまた強靭な体力、敏捷性、並外れた聡明さを備える非常に優れた騎手で、老齢でも彼はそれを維持しており「彼の日常娯楽の1つが、騎乗して剣を抜き、あぶみを掴んでいる奴隷を斬首することだった」という。 彼の外見は、ヨーロッパの人達にほぼ常に同じように説明されている。ルイ14世の大使サン・アマンによると、彼は「面長で、白人よりも黒人が強い、つまり非常にムラート」であり「彼は自国で最も強く、最も勢力がある男だ」と付け加えた。彼の身長は平均的で、顔の色は黒人奴隷だった母親からの遺伝だった。 1682年までモロッコに住んでいたフランス人捕虜の手記によると、 彼は精力的な男で、体型も良く、かなり背が高いが若干細身である。[中略]彼の顔は一目瞭然の茶色で、かなり長く、その容貌はどれも非常に整っている。彼には僅かに分岐した長い髭がある。とても柔和に見える彼の表情は、彼の人間性の象徴ではない、それどころか彼は非常に残酷である — Germain Moüette Relation de la captivité du Sr. Mouette dans les royaumes de Fez et de Maroc, p.150
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