人物像と貴族、聖職者との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 00:07 UTC 版)
「ヤズデギルド1世」の記事における「人物像と貴族、聖職者との関係」の解説
ローマ人の史料において、ヤズデギルド1世は聡明で慈悲深く、友好的な統治者であったと記されている。また、プロコピオスやキリスト教徒の記録では、治世の初期から「高潔な性格」を示し、「善良で寛大な王」であり、「貧しい者や不幸な者」の支援者であると言われていた。しかしながら、ペルシアやアラブの史料では「罪人」(bazehkar または bezehgar)や「除け者」(dabhr)と呼ばれ、貴族やゾロアスター教の聖職者を威嚇し、抑圧することで権力を悪用した君主であると説明されている。このようにヤズデギルド1世が敵視された原因は、ローマ人に対して平和的な態度を取り、国内の非ゾロアスター教徒(キリスト教徒やユダヤ教徒)に対して宗教的な寛容さを示したことにあった。 ゾロアスター教の聖職者たちのヤズデギルド1世に対する敵意は、宗教的少数派を友好的に管理する方針に反対した一部のゾロアスター教の神官を処刑したことに起因している。また、ヤズデギルド1世は先任者たちの運命をよく知っていたために貴族に信頼を置くことができず、貴族が王権に犠牲を強いて過剰な影響力を振るうことを阻止した。その結果としてヤズデギルド1世は貴族や聖職者との関係を悪化させた。しかしながら、ヤズデギルド1世は近い時期の先任者たちと比べれば有能であったため、その治世はサーサーン朝の歴史において再生の時代であったとみなされている。
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