人をモノとして扱う(モノ化)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 06:45 UTC 版)
「性的対象化」の記事における「人をモノとして扱う(モノ化)」の解説
「モノ化」(objectification)とは、人間・人(person)をモノ(thing)として扱うこと、またモノとして見ること、本来モノではないもの(人間など)を、何らかの目的のための道具として使用するプロセスのことである。 アメリカのピッツバーグ大学心理学科助教授のエドワード・オレーク(Edward Orehek)とケーシー・G・ウィーバーリング(Casey G. Weaverling)の2017年の研究論文によると、モノ化(客観化)は避けられず、結果の是非は「人が奉仕する目的とその目的を果たすことを望むかどうか」にかかっているとされる。 「モノ化」がよく言及されるのは、「性的モノ化」というフェミニズムの文脈である。しかし「モノ化」自体は性的な場面だけに生じることではない。「企業が従業員を交換可能な機械として扱う」といった場面でも「モノ化」が起きていると言える。道具としての有用さで他人を評価することは仕事や恋愛などでも日常的に行われており、「モノ化」自体は良くも悪くもない。 例えば、医者は仕事において医学的知識や技術によって評価されるが、性的魅力で評価されたり、性的誘惑に応じるよう期待されると、自己を否定されたように感じる。 しかし、この医者が自分の配偶者の性的目標のため役立ちたいときは、性的魅力によって評価されることでむしろ自己肯定感が高まる。 このように「モノ化」の問題は、モノ化する側とモノ化される側の双方の願望が食い違うことで生じるものだと言える。 「モノ化」論において最も重要な論者の一人に哲学者・倫理学者のマーサ・ヌスバウムが挙げられる。ヌスバウムは「モノ化」に複数の意味があることを指摘しつつ、そのなかで「モノ化」の特徴を真に定義づけるのは「道具性」(instrumentality)であるとした。「道具」は売買や交換ができるため、「モノ化」は「所有」と結びついているとも指摘される。 極端な例は奴隷 プロスポーツなどでチーム同士が選手を交換する 「彼は私のもの」「私の子供」などと言うような親密な関係性 などにも、関与と所有が含まれている。「所有」されること全般が一様に悪いのではなく、「モノ化」される当人がその目標に関して道具として奉仕することを望むか否か、ということが「モノ化」の善悪評価にとって重要となる。
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