井上雅博
【英】Masahiro Inoue
井上雅博とは、ポータルサイトのYahoo! JAPANを運営しているヤフー株式会社の創業メンバーの一人で、現・代表取締役社長である。1957年、東京生まれ。
1979年、東京理科大学理学部数学科を卒業した井上雅博は、株式会社ソード電算機システムへ入社した。1987年に退職し、株式会社ソフトバンク総合研究所へ入社。1992年にはソフトバンク株式会社で、社長室、秘書室長を務めた。なおソフトバンクの代表取締役社長は孫正義である。そして1996年、創業メンバーの一人として、米国Yahoo! Inc.との合弁会社であるヤフー株式会社を設立。まもなく代表取締役に就任した。
Yahoo! JAPANは、1994年に米国のジェリー・ヤン(Jerry Yang)とデビッド・ファイロ(David Filo)が開始したディレクトリ型検索サービス「Yahoo!」の日本語版としてスタートした。検索サービスだけでなく、Webメールサービス「Yahoo!メール」、ネットオークションサービス「Yahoo!オークション」、ホスティングサービス「Yahoo!ジオシティーズ」など、先進的なサービスを次々と投入し、インターネットの普及とともに急速に成長していった。最近では、ソーシャルブックマークサービス「Yahoo!ブックマーク」や、動画配信サービス「Yahoo!動画」、ソフトバンク携帯向けポータルサイト「Yahoo!ケータイ」など、さらに多様なサービスを提供している。
Yahoo! JAPANは、サービス開始から5ヶ月後で1日100万PVを突破、2000年には1日1億PVを、同じく2004年には1日10億PVを突破し、国内でも最も有名なWebサイトの一つとして認知されている。Yahoo! JAPANは「何をするにも、いつもそこにYahoo! JAPAN」、「人々の生活をより豊かに、便利にする『ライフエンジン』」を理念として掲げ、サービスの更なる発展に努めている。
(更新:2008年4月)
参照リンク
Yahoo! JAPAN
井上雅博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/06 15:05 UTC 版)
いのうえ まさひろ 井上 雅博 | |
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生誕 | 日本 東京都世田谷区 1957年2月12日[1] |
死没 | 2017年4月25日(60歳没)[1] アメリカ合衆国 カリフォルニア州 |
死因 | 交通事故 |
出身校 | 東京理科大学理学部数学科[1] |
職業 | 実業家 |
井上 雅博(いのうえ まさひろ、1957年2月12日[1] - 2017年4月25日[1])は、日本の実業家。ヤフー株式会社元代表取締役社長。ヤフー株式会社2代社長[2]。
概要
1996年に孫正義ソフトバンク社長らとともにヤフー株式会社を創業し、同年に孫初代社長の跡を継いで2代目社長となる。孫正義の右腕として、1996年から2012年にかけて、実質的にヤフーを切り盛りした。1999年に「Yahoo!オークション」(ヤフオク)を開始するなど、検索サービス以外にもヤフーのサービスを次々と拡充し、退任まで16期連続の増収増益を成し遂げた[3]。Googleなど競合検索エンジンの普及に伴い、本家である米Yahoo!の経営が悪化するのを尻目に、日本のヤフーを巨大メディア企業に導き、「ヤフーを作った男」と称される。
2012年、スマートフォンの普及によりヤフーの業績の伸びが鈍化したため、孫がヤフー経営陣の刷新を決断し、ヤフー社長を退任させられる。これを機にビジネスの世界とは完全に縁を切り、55歳で引退する。引退した後は、1000億円とも言われる資産を手に、ワイン、葉巻、クラシックカーレースなど、趣味の世界に没頭。
2017年4月、カリフォルニアでクラシックカーレース中に事故を起こし、死去。60歳没。
経歴
東京都世田谷区祖師谷生まれ[4]。父は医療業界専門紙の記者兼編集者で、母は専業主婦。東京都立松原高等学校を経て[5]、1979年に東京理科大学理学部数学科を卒業後[1]、ソード電算機システムに入社[1]。1987年に退社[1]。1987年からソフトバンク総合研究所入社。1992年にソフトバンクに転社。1994年社長室長を経て、1996年1月に米国のYahoo!との合弁でヤフー株式会社の創業に孫正義社長の側近として関与。同年7月からヤフー株式会社代表取締役社長に就任。1997年11月には同社株式を店頭市場に、そして創業7年目の2003年10月には東証1部に上場[6]。2009年度から義務付けられた役員報酬開示制度では、1億5900万円の役員報酬を受けていることが公表された[7]。2012年6月22日、同社代表取締役社長ならびにソフトバンク取締役を退任。2017年4月25日(日本時間4月26日)、アメリカ合衆国カリフォルニア州で[8]、クラシック・スポーツカーの耐久レース大会に参加している最中に自損事故を起こし、死去[9]。60歳没。
脚注
- ^ a b c d e f g h “【訃報】ヤフー株式会社 前代表取締役社長 井上雅博 逝去のお知らせ”. ヤフー株式会社 (2017年4月29日). 2017年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月29日閲覧。
- ^ “ヤフー前社長の井上雅博さん死去 米国で交通事故”. 朝日新聞社 (2017年4月29日). 2017年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月30日閲覧。
- ^ “ヤフー前社長の井上雅博氏が交通事故死 「日本のネット発展に貢献」と惜しむ声”. ジェイ・キャスト (2017年4月29日). 2017年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月30日閲覧。
- ^ “ヤフー創業を担った「孫正義の腹心」が抱いたメディア企業の夢”. ダイヤモンド・オンライン (2020年8月31日). 2022年2月7日閲覧。
- ^ “吉田信康税理士事務所”. www.yoshida-tax.jp. 2022年2月7日閲覧。
- ^ “【時代のリーダー】井上 雅博・ヤフー社長”. 日本経済新聞社 (2009年6月29日). 2017年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月29日閲覧。
- ^ “役員報酬の実態が個別開示で明らかに!”. 株式会社プレジデント社. (2011年5月26日). オリジナルの2017年4月29日時点におけるアーカイブ。 2017年4月29日閲覧。
- ^ “井上雅博ヤフー前社長が死去、60歳 アメリカで交通事故”. HuffPost Japan. (2017年4月29日). オリジナルの2017年4月29日時点におけるアーカイブ。 2017年4月29日閲覧。
- ^ “ヤフー井上氏死去、人力でつくった「ネットの玄関」”. 日本経済新聞社. (2017年4月29日). オリジナルの2017年4月29日時点におけるアーカイブ。 2017年4月30日閲覧。
関連項目
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固有名詞の分類
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