事故発生後のJAFや警察や検察の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 08:32 UTC 版)
「黒澤元治」の記事における「事故発生後のJAFや警察や検察の対応」の解説
当該事故は黒澤元治車と北野元車の接触がその発端である。競技中の事故については、予断のない詳細な調査と考察、結果についての判断が必須だが、関係者間では事故発生直後の調査不十分な段階から黒澤が当事者扱いであった。 当該事故についての調査が大会審査委員会からJAFスポーツ委員会内に設置された '74年GC 第2戦事故調査部会に移る。この時点では「走路妨害があったようだが確認できない」との結論。 御殿場警察署が、観客やカメラマンが負傷したことを理由に捜査介入し、黒澤を始めとする出場ドライバーや関係者が取り調べを受けた。警察は「競技規則では、周囲の安全を確認して進路変更しなければならず、故意の有る無しに関わらず幅寄せをしてはならない。だが黒澤は北野に注意せず急激に左側へ方向転換した。黒澤は最初これを否定していたが、のちに過失を認めた」と発表した。 7月8日 黒澤がJAFスポーツ委員長に競技ライセンス返上を文書で届け出る。 7月17日 静岡県警察刑事部捜査一課と御殿場警察署が黒澤を静岡地方検察庁沼津支部に書類送検。業務上過失致死傷の疑い。 7月30日 第3回JAFスポーツ委員会が大会審査委員会に事故についての再調査と報告書の再提出を指示する。当初の報告は黒澤のみにしか触れておらず不十分で、その他について調査の必要性を指摘した。 大会審査委員会がJAFスポーツ委員会に再調査の上で報告書を提出。「競技長に口頭注意。北野については不問。黒澤については上級組織であるJAFスポーツ委員会に送付。」との内容。 8月27日 JAFスポーツ委員会が大会審査委員会が再調査の上で提出した報告を承認する。 9月18日 JAFスポーツ委員会が黒澤を審問する。 10月8日 JAFスポーツ委員会が黒澤の5年間競技ライセンス停止処分を決定する。 黒澤がJAFスポーツ委員会による裁定には事実誤認があるとしてJAF中央審査委員会に上告する。 1975年2月27日 業務上過失致死傷の疑いについて静岡地方検察庁から不起訴処分が下り、刑事事件としては終了した。 6月5日 JAF中央審査委員会が黒澤に対するJAFスポーツ委員会の裁定を取消し、1年2ヶ月の競技ライセンス停止処分を下す。
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