主張される強制の事実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 04:40 UTC 版)
「沖縄戦における集団自決」の記事における「主張される強制の事実」の解説
日本軍は、民間人に適用すべきではない戦陣訓や防諜 を理由として米軍への投降をしないよう命令していた。投降は敵に情報を提供し日本軍を不利にする行為として、治安維持法の「国体の変革を目的とする者」とされた例もあり、投降者への狙撃 も行われた。元大本営参謀の厚生省引揚援護局厚生事務官馬淵新治は、沖縄戦での軍による強制によって、なんらかの形で住民が死亡する事例が多数起きていたことを証言した。将兵の一部が住民の避難していたガマに立ち入り、『軍の作戦遂行上の至上命令である、立ち退かないものは非国民、通敵者として厳罰に処する』などと言い、住民を威嚇して壕からの立ち退きを命じて自己の身の安全を図り民間人を米軍の砲撃爆撃下にさらし死に追い込んだ例、貧弱極まりない個人の食糧を『徴発』と称して略奪した例、住民の壕に保身から進入した兵士の一団が無心に泣き叫ぶ乳児の親に対して『此のまま放置すれば米軍に発見される』と殺害を強要した例などがある。 このように住民が米軍支配下に入ることを認めなかったことから、集団自決は、日本軍の強制と切りはなして考えることはできないと主張する。戦陣訓の中の「生きて虜囚の辱を受けず」という一節や、当時の日本政府や軍人が国民に対して、鬼畜米英と恐怖心を植えつけ、投降の方法などを教えなかったことなどが、多くの軍人や民間人に影響を及ぼし、自殺へとつながったとする意見がある。 当時沖縄では、根こそぎ動員により15歳未満の子供から65歳以上の高齢者まで徴兵され、日本軍の指揮下にあった。行政組織の上に軍が指揮・命令する形で住民を完全に統制し、天皇のために死ぬことは尊いという考え方と共に、捕虜となることが確実ならば住民は死ぬべきであるという命令・訓示があらかじめ行われている。また実際に軍管理下の手榴弾を住民や従軍看護婦に配ることが行われた例もある。こうした状況から安仁屋政昭は軍による直接の命令がなくても軍により死に追い込まれたものであり強制されたものだとしている。林博史は同様な状況の2つの壕において、日本軍が同居した壕では「集団自決」がおこり、日本軍の存在しない壕では「集団自決」がおきなかった例を具体的に指摘し、多くの例を検討した上で直接の命令がなくても軍による強制と考えるべきとしている。
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