丸山思想史学への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:03 UTC 版)
ゼミ生ではないが、親炙に浴していた 橋川文三は、丸山に影響を受けながら、論文「昭和超国家主義の諸相」にて、丸山超国家主義論に批判を加えた。 藤田省三は当初から丸山に批判的だった弟子の一人で、『天皇制国家の支配原理』などを著した。 弟子の渡辺浩 (政治学者)は東アジア王権論という視点から日本政治思想史を書き換えることを試みている。 子安宣邦は『事件としての「徂徠学」』で丸山徂徠論を言説論の視点から批判、また、『日本近代思想批判』で古層論(「歴史意識の『古層』」、「開国」)が江戸時代暗黒観・明治維新礼賛になってしまい、近代批判を失ったと批判した。同様に安丸良夫は『現代日本思想論』、末木文美士は『日本宗教史』など、苅部直は『「維新革命」への道』で「古層」論を批判している。 1990年代後半以降には、姜尚中、米谷匡史あるいは酒井直樹等のようなポストコロニアリズムの立場から、「国民主義」やナショナリストとしての一面を批判されている。一方でこのような見方に対して、斎藤純一、葛西弘隆等は思想史研究の立場から、確かに丸山は1950年代頃までの論考で明治期の日本国のナショナリズムを肯定的に評価する面があったが、それ以降においては多元主義あるいは市民社会をより重視するようになっていたとする指摘がある。 日本政治思想史研究に対しては、「自然」「作為」概念の無理な適用など近世思想史の解釈が恣意的との批判がある。また、経書学・日本思想史の立場から、漢籍読解の稚拙さを指摘する論考もある。 梅原猛は、思想的伝統が日本には形成されなかったと定義する丸山に対し、『法華経』などの古典を読まず、また、日本の美術、文学、風俗を調査せずにその様な断定を行うのは許しがたいと批判した。
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