中央 (和光市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/20 07:33 UTC 版)
中央 | |
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![]() 本田技術研究所 和光研究所 | |
北緯35度46分49.8秒 東経139度37分4.61秒 / 北緯35.780500度 東経139.6179472度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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面積 | |
• 合計 | 0.28 km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,165人 |
• 密度 | 7,700人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
351-0113[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 所沢 |
中央(ちゅうおう)は、埼玉県和光市の町名である。現行行政地名は中央一丁目および二丁目である。郵便番号は351-0113[2]である。
地理
埼玉県和光市の中央部に位置する[4]。東武鉄道東武東上線・東京メトロ有楽町線、副都心線の和光市駅から南へ約300 m付近にあり、宅地化が進んでいる。
歴史
かつては白子村と下新倉村の一部であった。
沿革
- 1969年(昭和44年) - 住居表示の実施に伴ない[5]、大字白子と大字下新倉の各一部から中央一丁目・二丁目が成立した。
- 1970年(昭和45年)10月31日 - 大和町が市制を施行したのに伴い名称変更をし、和光市の町名となる。
世帯数と人口
2017年(平成29年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
中央一丁目 | 428世帯 | 724人 |
中央二丁目 | 748世帯 | 1,490人 |
計 | 1,176世帯 | 2,214人 |
小・中学校の学区
市立の小学校・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
中央一丁目 | 全域 | 和光市立第三小学校 | 和光市立第二中学校 |
中央二丁目 | 3〜7番 | 和光市立第四小学校 | 和光市立大和中学校 |
その他 | 和光市立第三小学校 |
交通
道路
- 東京外環自動車道
- 国道254号(川越街道)
- 東京都道・埼玉県道68号練馬川口線(笹目通り)
- 埼玉県道109号新座和光線(川越街道)
- 埼玉県道88号和光インター線(ニホニウム通り)
- 農協通り
- 浅久保通り
施設
- 本田技術研究所
- 和光市立第三小学校
- 中央ひなた保育園
- 和光市中央公民館
- 和光市室内練習場
- 浅久保武蔵御嶽神社
- 下新倉代官屋敷(柳下家)
- 浅久保児童遊園地
- あさかわ公園
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
関連項目
「中央 (和光市)」の例文・使い方・用例・文例
- 中央情報局
- 台風が日本の中央部を襲った
- 中央委員会
- 2つの大通りは町の中央で交差する
- 新しい道路ができれば,われわれの農場の中央を突っ切ることになる
- アフリカの中央で,彼は真の人間性を理解した
- 私たちの学校は町の中央部にある
- それが山田半島の中央に位置します
- 集中型では全図書館のデータを中央図書館のデータベースに格納します
- 中央線で次の神田駅まで行き、銀座線に乗り換えます。
- 極端な中央集権主義は独裁を招くことがある。
- 中央広報局は1946年に設立された。
- アンナプルナはヒマラヤ山脈の中央山塊だ。
- 政府の官僚化と中央集権化によってその国の経済的停滞が生じた。
- 大日本帝国は中央集権化の支持する政府の典型である。
- 彼は平均以上に太っているため座席の中央に座るように言われた。
- 中央政府はその衝突を地元の分離派のせいにした。
- 中央銀行からの借り入れが多すぎると、市中銀行はオーバーローンの状態になる。
- 中央銀行による量的緩和の中止決定は投資家を落胆させ、株式市場にラチェット効果をもたらすであろう。
- 築地は11か所ある東京の中央卸売市場の1つである。
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