中国分割における英露両国の動きとは? わかりやすく解説

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中国分割における英露両国の動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 07:19 UTC 版)

スコット・ムラヴィヨフ協定」の記事における「中国分割における英露両国の動き」の解説

ドイツ帝国は、1897年11月山東省起こったドイツ人カトリック宣教師2人殺害事件口実膠州湾占領し1898年3月膠州湾租借青島済南間の鉄道敷設得て、さらに、膠州湾背後にあたる山東省勢力範囲として清国承認させた。清国は、ドイツによる膠州湾占領に際してロシア帝国介入求めたが、ロシア1897年12月長崎港停泊していたロシア太平洋艦隊膠州湾ではなく旅順口へと差し向け清に対し満洲モンゴル方面における鉄道産業独占山海関鉄道(京奉鉄道中国語版))沿線港湾租借、および支線敷設要求した。これに対しイギリス北アメリカ大陸英国艦隊集結させ、山海関鉄道への借款供与承認してロシアへ対決姿勢鮮明にした。 イギリス清に1200ポンド借款供与し下関条約定められ日本への賠償金肩代わりする代償として長江流域の不割譲イギリス人による清国海関における関税管理要求し、清側もこれを認めた。さらにイギリスは、1898年6月には香港対岸九竜半島99年間の租借獲得し7月には威海衛25年租借にも成功した列強は、日清戦争によってその軍事的弱体露呈した清国にこれらの要求認めさせたのみならず清国交渉することなく列強相互に協定結んだのであるロシアミハイル・ニコラエヴィッチ・ムラヴィヨフ外相は、こうしたイギリスの動向譲歩して山海関鉄道借款についてはある程度イギリスに譲る一方1898年3月には清より、 旅順口大連湾25年間の租借 ハルビンから遼東半島先端部に至る東清鉄道南満洲支線敷設獲得した旅順・大連租借に関する露清条約)。

※この「中国分割における英露両国の動き」の解説は、「スコット・ムラヴィヨフ協定」の解説の一部です。
「中国分割における英露両国の動き」を含む「スコット・ムラヴィヨフ協定」の記事については、「スコット・ムラヴィヨフ協定」の概要を参照ください。

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