ファーティマ朝
(中カリフ国 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 01:03 UTC 版)
ファーティマ朝(ファーティマちょう、アラビア語: الخلافة الفاطمية 、Al-Khilafah al-Fāṭimīyah)は、シーア派の一派、イスマーイール派が建国したイスラム王朝である(909年 - 1171年)。その君主は、イスマーイール派が他のシーア派からの分裂時に奉じたイマーム、イスマーイールの子孫を称し、イスラム世界の多数派であるスンナ派の指導者であるアッバース朝のカリフに対抗してカリフを称した。王朝名のファーティマは、イスマーイールの先祖である初代イマーム、アリーの妻で預言者ムハンマドの娘であるファーティマに由来している。
注釈
- ^ 910年1月15日にウバイドゥッラーが国家権力を握り、マフディーでありカリフであるとして自身の名でフトバを命じた[4]。
- ^ シチリア島はアグラブ朝の勢力下にあったが、ファーティマ朝のアグラブ朝征服により親ファーティマ朝派ムスリムのうち十二イマーム派の現地指導者がいったんは支配した[7]。けれどもイスマーイール派ではなかったため、ファーティマ朝はイスマーイール派信徒ハサン・ブン・アフマド(ベルベル系クターマ族)を派遣した[7]。このハサンの現地アラブ系住民に対する対応がまずく、912-913年に反乱が起きたが、すぐに鎮圧された[7]。
- ^ ヒッティ (1983)、p.544 では、ジェノバ人が訛って使っていたものとしている。
出典
- ^ 私市 (2002)、pp.204-205.
- ^ a b 私市 (2002)、p.204
- ^ ヒッティ (1983)、pp.530-531.
- ^ a b c 私市 (2002)、p.206
- ^ 私市 (2002)、pp.205-206.
- ^ a b 私市 (2002)、pp.206-207.
- ^ a b c d e 私市 (2002)、p.207
- ^ 私市 (2002)、pp.207-208.
- ^ a b c 私市 (2002)、p.208
- ^ 私市 (2002)、pp.208-209.
- ^ 私市 (2002)、p.209
- ^ a b c d e 三浦 (2002)、p.274
- ^ ヒッティ (1983)、pp.534-535.
- ^ ヒッティ (1983)、p.547
- ^ 三浦 (2002)、p.273
- ^ ヒッティ (1983)、p.534
- ^ a b c d e f ルイス (2001)、p.130
- ^ ホーラーニー (2003)、p.42
- ^ 三浦 (2002)、p.275
- ^ 私市 (2002)、pp.209-210.
- ^ 三浦 (2002)、pp.275, 297.
- ^ 三浦 (2002)、pp.290-291
- ^ a b c d 三浦 (2002)、p.297
- ^ 「世界の都市の物語10 カイロ」牟田口義郎 1992年10月20日第1刷発行(文藝春秋社)p126–137
- ^ 三浦 (2002)、pp.297-298.
- ^ ヒッティ (1983)、p.581
- ^ a b c 三浦 (2002)、p.298
- ^ 三浦 (2002)、p.283
- ^ ヒッティ (1983)、p.550
- ^ ヒッティ (1983)、p.533
- ^ 『西アジア史 1:アラブ』第8巻、佐藤次高編、山川出版社〈新版 世界各国史〉、2002年、付録p.087。ISBN 4-634-41380-9
- 中カリフ国のページへのリンク