世界を知る
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「ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン」の記事における「世界を知る」の解説
ロシア帝国ノヴゴロド州チェレポヴェツに、豪農の息子として生まれる。8歳の時、両親の希望で軍の幼年学校に入れられた。1853年、サンクトペテルブルクの海軍士官学校に入学。1858年にフリゲート「カムチャッカ」号で西ヨーロッパやエジプトを訪問。1859年に士官となるが、軍を辞めて翌年からペテルブルク美術学校で学ぶ。優秀な成績だったものの、授業方法を退屈に思い3年で退学。ティフリスに長期間滞在した後、フランスに渡りピレネー山脈などを訪ね、パリに一年間暮らす。パリではエコール・デ・ボザールに学び、ジャン=レオン・ジェロームに師事する。画家として彼はフランス派に属し、精密な描写・鋭い造形、そして柔らかで明るいカラフルな色調の組み合わせを特徴とした。 1867年、コンスタンティン・フォン・カウフマン将軍によるトルキスタン(中央アジア)遠征に従軍し、サマルカンド攻撃などを目撃。1868年にカウフマン将軍の後援でトルキスタンをテーマとした個展を開催した。1870年はドイツ帝国ミュンヘンに滞在し、従軍中に描き溜めたスケッチや研究を絵画として完成させる作業をした。彼の関心は戦闘場面よりもむしろ中央アジアのエキゾチックな建築や風俗に向けられた。1874年にはインドに長期旅行をし、イギリスに植民地支配されるインドの実態を見聞する。1877年、露土戦争に従軍。司令官のはからいで副官の地位と軍内で自由に行動する権利を与えられ、シプカ峠の戦いを目撃。プレヴェン攻略戦では兵士として従軍していた彼の兄弟が戦死、自身も重傷を負った。この悲惨な戦いは彼の世界観を変えるものだった。
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