不可触民の歴史について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 22:57 UTC 版)
社会階層概念としての不可触民は、紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけて成立したと考えられる『マヌ法典』にはまだ見られず、歴史的には、西暦100年頃から300年頃にかけて成立したとされる『ヴィシュヌ法典』に初めて現れる。5世紀から6世紀にかけて成立したといわれる『カーティヤーヤナ法典』では、不可触民の規定がさらに明瞭なものになったところから、この頃、差別される諸集団を一括して不可触民とする考え方が定着していったものと考えられる。 『マヌ法典』には「聖典ヴェーダを読む声にシュードラが不届きにも耳を傾けたなら、熱く解けた鉛を耳に流し込んで罰すべし」と記されている。その後、一生族(エーカジャ)に属するシュードラに対する差別は穏やかなものになっていくが、不可触民への差別はむしろ強化されていったものと考えられる。 不可触民を含めた身分秩序が、このように、1,500年以上にわたって歴史的につくりだされてきたのである。歴史学的には、今日見られる社会階層としての不可触民の本格的な形成はインド中世社会の形成期以降であると考えられている。すなわち7世紀以降、インドでは、定着農耕社会のいっそう顕著な拡大がみられ、各地に自立的な村落共同体が形成されていったが、それに伴って山間地に居住していた諸部族が農村集落に吸収され、皮革細工や集落の清掃などに従事するようになった。そして、これと並行して形成されていくヴァルナ・ジャーティ制(カースト制)において、彼らの多くが不可触民として社会的に位置づけられるようになったと考えられる。 不可触民は、ヒンドゥー社会の中でも最下層階級であり、「触れると穢れる人間」として扱われてきた。不可触民は、触れてはいけないだけでなく、見ることも、近づくことも、その声を聞くことさえいけないとされた。また、他のヒンドゥー教徒と同じ神を信仰しているにもかかわらず、ヒンドゥー寺院への立ち入りが禁止され、ヴァルナに属する上位4身分のヒンドゥー教徒(カースト・ヒンドゥー)たちが使用する井戸や貯水池の使用さえも禁止されていた。このように、不可触民(ダリット)は、社会的に分離され、厳しい差別の被害をこうむってきた。
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