下層5号神殿のマヤ文字の年代と内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/22 04:33 UTC 版)
「サン・バルトロ」の記事における「下層5号神殿のマヤ文字の年代と内容」の解説
下層5号神殿に伴うとみられる文字は、10文字分が確認され、白い漆喰の上に黒く太い線で「描かれ」ていた。行を区分するために描かれたかすかにピンク色を呈するオレンジ色の線を伴っていた。本来は、もっと長い文章であったものが上の部分が喪われ、最後の10文字が残ったと考えられている。 下層5号神殿の壁画及び文字の「描かれた」年代を調べるために、下層4号、下層5号、下層6号の3時期の建造物の層に埋め込まれた5つの炭化物についてAMS法による放射性炭素年代測定が行われた。下層6号の床面から確認された下層6号を覆って下層5号が建設された時期のサンプルは、2260±40BPで紀元前400年から紀元前200年頃、下層5号床面のサンプルは、2200±40BPで、紀元前390年から紀元前80年頃、下層5号の塗色された部屋が壊されて、下層4号の基壇がその上に造られた時期に関連すると思われる三つのサンプルはそれぞれ2260±40BP(紀元前400年から紀元前200年)、2180±40BP(紀元前370年から紀元前100年)、2150±40BP(紀元前360年から紀元前60年)であった。この分析結果と併せてラス・ピントゥラスの最後の二時期の年代測定結果を突き合わせて、下層5号の壁画と石塊に文字が「描かれた」年代は、紀元前300から紀元前200年の間であろうと推測された。 サン・バルトロ下層1号部屋1号の壁画に伴うマヤ文字は、紀元250年から300年ごろの古典期段階よりも古い文字であることから、部分的にしか解読できておらず、下層5号の文字はさらに古く、古い形も含んでいる。マヤ文字というより先古典期後期から古典期前期の近隣の諸民族、たとえばラ・モハーラ1号石碑やトウシュトラの小像などに見られるオルメカ終末期、いわゆるエピ・オルメカの文字に似ているが、研究者の意見としては、マヤ文字の祖形であろうとする点については大方の賛同を得ている。また、サン・バルトロ下層5号神殿の文字の年代は、グアテマラのエル・ポルトゥンの記念碑に刻まれた文字の年代について、直接その記念碑自体を測定したわけではないが、記念碑を含む地層、遺構等から検出された炭化物を放射性炭素年代測定したところ紀元前2世紀から同3世紀という年代が得られており、その年代の裏付けるものとなった。 下層5号神殿石塊の文字列のうち、上から7番目のpA7と呼ばれる文字が、AJAW(アハウ)の古い形であることがわかっている。壁画の説明として歴史的ないし神話的な人物に言及することによって、王なり、貴人なりの広い概念がつくられ、階層社会が形成されていったことを示している。また上から2番目のpA2については、手で何かを握っているような形をしており、放血儀礼用に用いた刺突具を握っている形を文字にしたと考える研究者もいる。
※この「下層5号神殿のマヤ文字の年代と内容」の解説は、「サン・バルトロ」の解説の一部です。
「下層5号神殿のマヤ文字の年代と内容」を含む「サン・バルトロ」の記事については、「サン・バルトロ」の概要を参照ください。
- 下層5号神殿のマヤ文字の年代と内容のページへのリンク