上司海雲とは? わかりやすく解説

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上司海雲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/06/04 08:25 UTC 版)

上司 海雲(かみつかさ かいうん 1906年明治39年)2月15日 - 1975年昭和50年)1月25日)は昭和華厳宗僧侶。第206世東大寺別当(住職)。文化人サロンを形成し「観音院さん」の名で親しまれた。

略歴

奈良市、東大寺塔頭持宝院に生まれる。1930年龍谷大学英文科卒。一年志願兵で野砲22連隊に入隊。また太平洋戦争末期に召集され朝鮮に派遣される。1939年、東大寺塔頭観音院住職となる。東大寺学園中学校・高等学校校長、東大寺執事長、華厳宗宗務長等を歴任。1972年華厳宗管長・東大寺206世別当となり、開祖良弁上人の1200年忌を営む。東大寺大仏殿の昭和の大修理のために尽力したが、1975年、任期途中でで死去。事業は後任の別当・清水公照に引き継がれた。

観音院サロン

文学・芸術を愛し、奈良で文化人のサロンを形成したことで知られる。はじめ、1925年(大正14年)に奈良に移住した志賀直哉(小説家)を中心としたサロン(高畑サロン)が形成され、上司も出入りしていた。志賀が一ヶ月ほど上司の観音院に逗留したこともあったという。

1938年(昭和13年)、志賀が奈良を去ると、残されたサロンを上司が引き継ぐ形となった。杉本健吉(画家)、会津八一歌人・早大教授)、入江泰吉写真家)、須田剋太洋画家)などが出入りした。東大寺観音院の住職だったので「観音院さん」として親しまれた。杉本健吉は一時観音院のなかにアトリエを設けることをゆるされ、東大寺や奈良の街角の風景などを描いた。

1945年(昭和20年)3月、新薬師寺に疎開していた水島弘一(彫刻家)が観音院の離れの書斎に仮寓。以降30数年に亘り交友を深める。後に(1971年(昭和46年))、七人会(入江泰吉、上司海雲、熊谷九寿、杉本健吉、鈴木光、須田剋太、水島弘一)を結成し、奈良の芸術文化に力を注いだ。

壺法師

の収集家としても知られ「壺法師」というあだ名もあった。 追悼文集は「壺法師海雲」と題された。

著書

参考文献

先代:
東大寺別当
第206世:1972-1975
次代:
清水公照

上司海雲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:26 UTC 版)

志賀直哉」の記事における「上司海雲」の解説

東大寺別当直哉奈良住んでいた頃に知り合う海雲は「あんなすぐれた人は仏教界にもどこにも見当たらない」と直哉絶賛し直哉亡くなるまでの40年親しい関係が続いた直哉奈良去り東京へ帰った後も、武者小路実篤里見弴と同じ頻度手紙書いている。直哉サロン一部は上司海雲に引き継がれていった観音院サロン)。

※この「上司海雲」の解説は、「志賀直哉」の解説の一部です。
「上司海雲」を含む「志賀直哉」の記事については、「志賀直哉」の概要を参照ください。

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