上司海雲
華厳宗の僧。二百六世華厳宗管長、東大寺別当。奈良県生。志賀直哉・杉本健吉・須田剋太ら文化人・芸術家とも交流をもち、壷法師の異名をとる程の壷の収集家であった。書や文章にも優れ、幅広い見識と政治力兼備の名僧として知られる。昭和50年(1975)寂、68才。
上司海雲
上司海雲
上司海雲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:26 UTC 版)
東大寺別当。直哉が奈良に住んでいた頃に知り合う。海雲は「あんなすぐれた人は仏教界にもどこにも見当たらない」と直哉を絶賛し、直哉が亡くなるまでの40年間親しい関係が続いた。直哉も奈良を去り東京へ帰った後も、武者小路実篤や里見弴と同じ頻度で手紙を書いている。直哉のサロンの一部は上司海雲に引き継がれていった(観音院サロン)。
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