文化人・芸術家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 20:58 UTC 版)
「ナポレオン -獅子の時代-」の記事における「文化人・芸術家」の解説
マルキ・ド・サド 侯爵。奇抜な小説を書く文筆家。バスティーユ牢獄に収監されていた際は、さまざまなデマを広げて革命のきっかけを作った。後にテルミドールから逃げ延びたサン=ジュストから猟奇的な小説の執筆を求められ、『悪徳の栄え』を出版。 ダヴィッド ジャコバン派に心酔していた画家。マラーが刺殺された後、その遺体をモデルとして代表作『マラーの死』や処刑寸前のマリー・アントワネット、ダントンのスケッチを描いている。テルミドール反動の後、一時的に投獄されるがヴァンデミエール後に釈放され、五総裁の制服をデザインするなど、かつての信条とは異なる生き方を選んだ。ナポレオンの画家となり、『アルプス越えのナポレオン』、『ナポレオンの戴冠式』などを描く。 ヴィヴィアン・ドゥノン (Vivant Denon) 画家。船上ではビクトルに美人画(実はネルソンの愛人、エマ・ハミルトンの絵)を描いてやった。遺跡群のスケッチを熱心に行い、エジプトブームの嚆矢を作った。後の初代ルーヴル美術館館長。 ニコラス=ジャック・コンテ (Nicolas-Jacques Conté) 眼帯をつけた発明家。エジプトでもありとあらゆる発明を行い、気球も飛ばす。今日に伝わる鉛筆濃度は彼に由来する。 フーリエ ミイラ男のような服装の数学者。シャンポリオンとロゼッタ・ストーンを見ていた。
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