上古の詔勅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 23:14 UTC 版)
律令制以前、古くから天皇の言葉を指して、万葉仮名で美古登(みこと)と称した。これは御言という意味であった。また意富美古登(おほみこと)とも称した。これは大御言という意味であった。天皇の言葉を臣民に宣布するとき、これを美古登能利(みことのり)と称した。これは 命(みこと)を宣る(のる)という意味であった。そのうち神事にかかるものを能利登許登(のりとごと)と称した。宣祝言という意味であった。これを縮めて能利登(のりと)ともいい祝詞の字を充てた。 古代中国における「詔」や「勅」の語義は次のようであった。もともと「詔」の字は上から下に命じるというような広い意味で用いられていたが、秦漢時代以降に皇帝専用となったものであり、主として「教え告げる」という意味であった。これに対し「勅」の字には戒めるとか正すといったニュアンスがあり、皇帝が臣下を責めたり罰したりすることを意味する勅勘や勅譴などの熟語があるが、詔の字にはそのようなニュアンスや熟語はなかった。また、勅裁、勅断、勅選、勅撰、勅諭、勅許、勅問、勅答、勅諚という熟語には責めるという意味はないものの、皇帝個人の意思による判断、選択、教諭を、特定の臣下に下すという意味合いがあった。一方、詔の字は臣下の全体に対する皇帝の公的な側面が強く出ており、私的な側面は弱かった。 古代日本における「詔」「勅」の字の用例を古事記や日本書紀に見ると、中国における語義と関係なしに、編者が巻ごとに一方の文字のみを用いる傾向があった。たとえば記紀神話が記された神代巻を見ると、日本書紀1巻2巻では、詔が0件、勅が42件であり、全て勅であったが、古事記上巻ではこれと全く対照的に、詔が92件、勅が0件であり、全て詔であった。古事記の本文は全体を通じて勅の字の用例は一例しかなかった。
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