上古音における声調
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 10:20 UTC 版)
声調を発見したのは六朝時代の沈約であり、それ以前の上古中国語に声調があったかどうかが問題になる。この問題について古くからたくさんの主張がなされてきたが、その根拠となるのは『詩経』の押韻である。『詩経』の押韻を四声で調べてみると、平声・上声が去声と押韻されたり、去声が入声が押韻されたりと一定しない。『詩経』の押韻を調べて音韻学の基礎を築いた清代の考証学者顧炎武は言語の遅速軽重が押韻の平仄になっていったと主張し、平声が最も長く、上・去がこれに次ぎ、入声は急に止まる音としている。また去声と入声が押韻され、中古音においても「易」(入:エキ・去:イ)・「出」(入:シュツ・去:スイ)・「悪」(入:アク・去:ヲ)というように去入二つの声調をもつ字があるように去声と入声が近い関係にあることにも注目している。 このことから段玉裁は平・上・入三声であって去声はなかったとし、黄侃は平・入二声で上・去声はなかったという説を唱えている。これを受けて現代の王力は『漢語史稿』において平・入二声の二大分類がさらに音の長さで、長短の二類に分かれる四声であったという説を唱えた。現代中国語における声調は音の高さだけを主たる特徴とするが、古代中国語においては音の長さも主たる要素としていたとし、長平声が平声となり、短平声が上声、長入声が去声、短入声が入声になったとしている。
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