三宅 榛名
三宅榛名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/05 22:58 UTC 版)
三宅 榛名(みやけ はるな、1942年〈昭和17年〉9月20日 - [1])は、作曲家、ピアニスト[1]。
略歴
東京出身。アメリカのジュリアード音楽院作曲科を卒業[1]。のちに、フェリス女学院大学音楽学部音楽芸術学科教授[2]。夫は柴田翔。ニューヨークのコンポーザーズ・フォーラムでデビューし、リンカーン・センター内の新ホールのこけら落しに作品を委嘱される。帰国後「ピアノ・ソナタ[注釈 1]」を発表する。
自分の面白いと思う音楽を貫徹させる方針を立て、1977年(昭和52年)から1985年(昭和60年)までは自作を中心としたシリーズコンサート「現代音楽は私」を東京の渋谷ジァン・ジァンで毎年2回ずつ行い、現代都市の日常と人々に直接届く音楽を提示した[3][4][5]。また、ロッケン・ハウス国際音楽祭、ハイデルベルク現代音楽祭などに招待出演[5]。ピアニスト、即興演奏者としては、ウェイン・ショーター、高橋悠治、山下洋輔など、内外のさまざまなジャンルの音楽家と共演している[5]。
作品に、「憂愁の時――ダブル・コンチェルト」、「プレイ・タイム――ウィンド・オーケストラのための」、「why not,my baby?」、「ミニマム・オーケストラ集」[5]。CDに作品集『空気の音楽』、『ほんの47分の地獄』など[5]。著作に『アイヴスを聴いてごらんよ』『音楽未来通信』など[1][6][7][5]。
現在既成の「現代音楽」に対する疑問、子育て、病気などで対外活動を停止する。目下最新のピアノ録音は、高瀬アキ三宅榛名ピアノデュオの「耳のごちそう」(IMA Shizuoka, IMASZOK02 2005, Recorded Live on Septemvber 25, 2004)である。
出演番組
- 世界音楽めぐり(NHK-FM) - パーソナリティー
作品
- 弦楽オーケストラの詩曲(E.ベンジャミン賞受賞)
- 6月の6つの声(ニューヨーク、リンカーン・センター委嘱)
- ピアノ・ソナタ第3番(音楽之友社刊)
- クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための四重奏(音楽之友社刊)
- ピッコロ、フルート、ギターのための音楽(ドイツ、W.ツィンマーマン社刊)
- 「why not,my baby?」シリーズ
- ピアノ・コンチェルト
- ミニマム・オーケストラ集
- 憂愁の時――ダブル・コンチェルト
- プレイ・タイム――ウィンド・オーケストラのための
- 合唱曲 電話局が漂流する《詩・白石かずこ》
- ポエム・ハーモニカ――ハーモニカとピアノのための
- スノウ・ヴォイス――6人の声とアコーディオン、ピアノのための
- きみは最初の通りを...――4人の打楽器奏者のための
楽譜
- 『クラリネット・ヴァイオリン・チェロ・ピアノのための四重奏曲』音楽之友社、1966年
- 『日本のうた(三宅榛名編曲):成田為三、山田耕筰、本居長世、草川信、滝廉太郎』Casa de la Guitarra、1967年
- 『ピアノ・ソナタ第3番』音楽之友社、1967年
- 『三宅榛名ピアノ小品集』カワイ楽譜、1968年
- 『ピッコロ、フルート、ギターのための音楽』W.ツィンマーマン社刊、1968年
- 『《ギター・ピース》No.1012 SONET for Solo Guitarソネット/三宅榛名』(青柳武彦と共著)ギタルラ社、1969年
- 『ピアノ・コスモス 現代日本ピアノ曲選 1960-69』(18者と共著)クラウンレコード、1969年
- 『日本のうた変奏曲集 「鉄道唱歌」から「赤とんぼ」まで こどものためのピアノ曲集』カワイ出版、1984年
- 『ほんとの初歩のためのピアノ連弾曲集 1 二人で歩こう』カワイ出版、1993年
- 『ほんとの初歩のためのピアノ連弾曲集 2 不思議な歌』カワイ出版、1993年
- 『子どものためのピアノ曲集 日本のうた変奏曲集 「鉄道唱歌」から「赤とんぼ」まで』川口エレン訳、河合楽器製作所・出版事業部、1998年
- 『(973300)ODM263 [現代日本の音楽]クラリネット、ヴァイオリン、チェロとピアノのための四重奏曲/三宅榛名 (オンデマンド)』音楽之友社、2016年
- 『(973310)ODM264 [現代日本の音楽]ピアノソナタ第3番/三宅榛名 (オンデマンド)』音楽之友社、2016年
ディスコグラフィー選
- 『エクスチェンジ』(山下洋輔と共作)ビクター 1979年
- 『ほんの47分の地獄-三宅榛名・音楽・現在-』(板倉駿夫と共作)カメラータ・トウキョウ 1988年
- 『三宅榛名・ポップバンド/五十億光年の子守歌』(松波恵子、佐藤紀雄、板倉駿夫、崎元譲と共作)ビクターエンタテインメント 1988年
- 『ありがとういのち』(水木陽子、高橋悠治と共作)コレクタ 1990年
- 『三宅榛名-高橋悠治Ⅱ 1980年代作品集』(高橋悠治と共作)ALM RECORDS 1991年
- 『いちめん菜の花』(高橋悠治と共作)ALM RECORDS 1991年
- 『こどものためのピアノ曲集7』EMIミュージック・ジャパン 1991年
- 『Angels Have Passed』(吉沢元治、小杉武久と共作)モダーン・ミュージック 1991年
- 『高橋悠治リアルタイム2 ゾーン・三宅・マセダ』フォンテック、1992年
- 『ハイパー・ビートルズ』(ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、高橋アキらと共作)EMIミュージック・ジャパン 1992年
- 『空気の音楽』(高橋悠治、岡田知之と共作)ALM RECORDS 1992年
- 『ハーモニカの芸術』(崎元譲、菅原明朗、美野春樹、宮前知永子、バッハ、パガニーニ、ピルスル、ヴェタム、ステウァーズ、レクオーナ、テリー・ライリーと共作)カメラータ・トウキョウ 1998年
- 『ポエム・ハーモニカ』(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ヘンデル、イベール、菅原明朗、宮前知永子、ピアソラ、美野春樹、Gerardo Hernán Matos Rodriguez、スティーブン・コリンズ・フォスターと共作[8])カメラータ・トウキョウ 2002年
- 『赤とんぼの謎』(山田耕筰、ロベルト・シューマンと共作)キングレコード 2004年
- 『耳のごちそう OHRENSCHMAUS』(高瀬アキとの二台ピアノ)(IMA Shizuoka, IMASZOK02 2005, Recorded Live on Septemvber 25, 2004) 2005年[9]
- 『uni-marca』(uni-marcaと共作[10])Zipangu Label 2006年
- 『ピアノ四重奏のための『結晶』 (1968) 初演他』(竹前聡子、平尾はるな、読売日本交響楽団、山岡重信、松下真一と共作)ナクソス・ジャパン 2011年
- 『ライヴ1989』(富樫雅彦、高橋悠治と共作)スタジオソングス 2015年
著書
- 『アイヴスを聴いてごらんよ』筑摩書房、1977年
- 『ムウといじわるねこグヮオ』(柴田翔、石渡万里子と共著)筑摩書房、1979年
- 『ムウと月夜の大えんかい』(柴田翔、石渡万里子と共著)筑摩書房、1980年
- 『地球は音楽のざわめき』青土社、1980年
- 『グヮオのさようなら』(柴田翔、石渡万里子と共著)筑摩書房、1980年
- 『現代日本の音―音楽の手帖』(24者と共著)青土社、1980年
- 『振りむけばダ・ヴィンチ―三宅榛名創作現場目撃インタヴュー集』文藝春秋、1982年
- 『NHK全国学校音楽コンクール「50年のあゆみ」課題曲全集』(89作とともに掲載)音楽之友社、1983年
- 『音楽未来通信』晶文社、1984年
- 『音楽が好きだ! (4) クラシックってなんだろう?』ポプラ社、1994年
- 『作曲家の生活』晶文社、1995年
関連項目
脚注
注釈
- ^ のちの自作品リストからはナンバリングが破棄されている。
出典
- ^ a b c d 三宅榛名 - 『デジタル版日本人名大辞典Plus』講談社(コトバンク)
- ^ “三宅 榛名”. researchmap.jp. 2025年5月6日閲覧。
- ^ 高橋悠治、坂本龍一『長電話』冬樹社、1984年 p.78
- ^ 三宅榛名『音楽未来通信』晶文社、1984年 巻末経歴
- ^ a b c d e f 三宅榛名『音楽が好きだ! (4) クラシックってなんだろう?』ポプラ社、1994年 著者紹介
- ^ 三宅榛名『地球は音楽のざわめき』青土社、1980年 カバー履歴
- ^ 三宅榛名『アイヴスを聴いてごらんよ』青土社、1980年 カバー履歴
- ^ “ポエム・ハーモニカ/崎元 讓&御喜美江”. www.camerata.co.jp. CAMERATA. 2025年5月5日閲覧。
- ^ “耳のごちそう”. www.jjazz.net (2005年8月1日). 2025年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月4日閲覧。
- ^ “作詞・作曲:S.C.Foster 編曲:三宅榛名”. www.zipangu-label.com. ジパングプロダクツ株式会社. 2024年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月5日閲覧。
「三宅 榛名」の例文・使い方・用例・文例
- 倉敷滞在中に三宅君がいろんな場所を案内してくれたよ。
- 皆で、三宅さんを心から歓迎しましょう。
- 伊豆諸島の一部である三宅島に前回の大規模な噴火が起こってからほぼ2年が経つ。
- 三宅島から避難した島民たちにはまだ帰島の望みはほとんどない。
- 2000年9月に,島民全員が三宅島から避難させられた。
- 現在三宅島の住民として登録されている島民は約3650人。
- 三宅島の復旧は進んでいるが,まだやらなければならないことがたくさんある。
- 三宅村の平野祐(すけ)康(やす)村長と他の村職員は,村民の帰島の準備をするため,島に戻った。
- 三宅(みやけ)選手,重量挙げ女子で銀メダル獲得
- 10月30日,中国のマカオで開催されていた東アジア競技大会の重量挙げ女子で,三宅(みやけ)宏(ひろ)美(み)選手が銀メダルを獲得した。
- 三宅選手は48キロ級でスナッチ81キロ,クリーン&ジャーク110キロ,トータル191キロを挙げ,3つの日本国内記録を更新した。
- 三宅選手は9月に行われた大会で53キロ級に出場していた。
- 三宅選手は重量挙げ選手の一家に生まれた。
- 三宅選手の父でコーチでもある義(よし)行(ゆき)さんは1968年のメキシコシティ五輪の銅メダリストだった。
- 中学3年のとき,父の三宅義(よし)行(ゆき)さんの指導の下,ウエイトリフティングを始める。
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