七奉行の台頭とは? わかりやすく解説

七奉行の台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 02:36 UTC 版)

竹下派七奉行」の記事における「七奉行の台頭」の解説

中曽根康弘5年間に亘り内閣総理大臣務め竹下自民党総裁就任にあたって影響力行使したものの、リクルート事件党籍離脱追い込まれたため、経世会への求心力がますます高まったその頃から七奉行次々と要職起用されてゆき、権力中枢歩むことになる。宇野政権では大逆風となった1989年参院選敗れた橋本幹事長が「チクショー」と悔しがるシーンTV放映され話題となったが、この参院選では不人気宇野首相に代わり人気弁士として全国応援回った橋本評価高めることになった。 こうして最初に総裁候補とされたのが1989年ポスト宇野総裁選びでの橋本だった。しかし、この時小沢橋本女性スキャンダル探し出した。これが「一龍戦争」の発端である。結局金丸担いだ海部政権では、橋本入れ替わるように小沢幹事長に就任海部政権長期化と共に小沢権力伸張著しくなる。金丸威光背景政策牛耳り、竹下派竹下系を政策中枢から外したため、橋本梶山らが不満を募らせる1991年5月東京都知事選挙では、小沢は都連と対立した上に敗北。この責任取り小沢幹事長辞任後任幹事長に副会長だった小渕就任。しかし、小沢同じく副会長から会長代行昇格、派での影響力を増すことになった。この異動には将来小沢会長据えた金丸意向があった。これに対し竹下総裁登板こそ望まなかったものの、金丸小沢の強引さについて危惧しており、小沢会長据えることには反対だった1991年9月小選挙区法案巡り解散反対派金丸系と、解散賛成派竹下系が完全に対立する海部選挙制度改革派の若手押され重大な決意で臨む」と記者会見などで発言し解散して信を問う決意固め小渕幹事長解散準備を行うものの、解散決定閣議15分前に小沢会長代行海部に「経世会解散支持せず」と伝える。進退窮まった海部内閣総辞職追い込まれた(海部おろし)。この時は金丸系と竹下系の役回り逆だった思われていることが多い。 10月10日自由民主党総裁選挙において海部後継総裁争った宮沢喜一渡辺美智雄三塚博との面接行ったのが小沢渡部であり、小沢個人事務所実施されたことから「小沢面接」と呼ばれた当選回数年齢などで上の人間を自分事務所呼びつけ小沢面接には党内外から批判の声上がった小沢祝日ホテル確保するのは面倒だったと回想している。金丸最終的に鶴の一声渡辺支持から宮沢支持切り替えた

※この「七奉行の台頭」の解説は、「竹下派七奉行」の解説の一部です。
「七奉行の台頭」を含む「竹下派七奉行」の記事については、「竹下派七奉行」の概要を参照ください。

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