一之宮別当
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一宮神社:当寺より道路をはさんで南にある。祭神は大宜都比売命・天石門別八倉比売命。
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一之宮別当
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一之宮神社 西条市小松町新屋敷 地図 祭神大国主之大神(おほくにぬしのおほかみ) 大山積之大神(おほやまつみのおほかみ) 事代主之大神(ことしろぬしのおほかみ) 概要現在は、当寺とJR伊予小松駅の北側に当神社がある。この鳥居の右(北)脇に、別当宝寿寺跡の石碑が1992年(平成4年)3月に建てられた。その裏の文によると、1679年(延宝7年)当神社は藩主の命により白坪の里より当所に移されたとある。1653年(承応2年)に澄禅が遍路をしたとき、その白坪にあった当神社が札所で、その別当の「保寿寺」はこの石碑の所にあった。澄禅の旧友が当神社の社僧で当寺が住居であったので、その夜はそこに宿泊している。また、中山川の氾濫があり山側に神社が移されたり元の地に戻されたりが何度かあったと澄禅の日記に記されている。さらに、石碑には、明治元年の廃仏毀釈令により1879年(明治12年)3月に当神社南隣に移し、1923年(大正12年)5月に鉄道開通のため現在地(さらに南側)に新築移転とある。 なお、伊予の一ノ宮は、大三島の大山祇神社であり、中山川の河口の白坪にその三島明神を勧請したのがはじまりで、ゆえに、ここも一之宮と呼ばれていたとされている。 しかし、『空性親王四国霊場御巡行記(賢明 1638年)』には「大国主ノ一宮」と記されていて、祭神が異なる大山祇神社からの勧請ではなく、また、「一國一宮別當寶壽寺」の石碑もあり、他県の3箇所と同様に、独自の発祥の歴史のある一国一宮として四国八十八箇所の札所に選ばれたことを否定できない。その場合、大山祇神社(実際は別宮であるが)は一国一宮としてではなく唯一の日本総鎮守社として霊場札所に選ばれたと思われる。 摂社魂神社(天照皇大神、外三柱)、和霊神社(山家公頼)、天満宮(菅原道真)、厳島神社(市杵島姫命、外三柱)、靖国神社(氏子戦没者の霊) 一之宮神社入口 宝寿寺跡の石碑 社殿 一国一宮の標柱
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