ヴェルディ万歳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:20 UTC 版)
「ジュゼッペ・ヴェルディ」の記事における「ヴェルディ万歳」の解説
ヴェルディが次回作に選んだ題材は、様々な問題を生じた。ウジェーヌ・スクリーブの『グスタフ3世』は、スウェーデン王グスタフ3世を題材としており、そもそも実在の王族を登場人物にすることはナポリでは禁じられていた。しかも暗殺されるという筋は検閲当局が先ず認めない。さらにはナポレオン3世の暗殺未遂事件が起き、状況は悪化した。契約していた興行主のアルベルティは台本の変更を主張するがヴェルディは認めず、ついには裁判沙汰になった。これはヴェルディに不利だったが世論が彼を後押しし、結果『シモン・ボッカネグラ』公演へ契約を変更することで和解した。ヴェルディは『グスタフ3世』をローマに持ち込み、妥協しうる最低限の変更でアポロ劇場での公演に漕ぎ着けた。こうして1859年2月に改題を加えた『仮面舞踏会』は開幕された。 "È scherzo od è follia" 『仮面舞踏会』、1859年、Act 1, Scene 2。出演:エンリコ・カルーソー、フリーダ・ヘンペル(英語版)、マリア・デュシェンヌ、アンドレス・デ・セグロラ、レオン・ロティエ(英語版). この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 楽曲の美しさと演劇性を高度に両立させた内容の秀逸さもさることながら、その筋が時代の雰囲気に適合し、『仮面舞踏会』に観客は熱狂した。サルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、周辺諸国との関係変化を受け1月の国会で統一に向けた演説を行い、イタリア全土で機運が高まっていた。このスローガンViva Vittorio Emanuele ReD'Italia(イタリアの王ヴィットーリオ・エマヌエーレ万歳)が略され「Viva VERDI」(ヴェルディ万歳)と偶然になったことが起因し、彼を時代の寵児に押し上げた。このオペラの成功によってローマのアカデミア・フィラルモニカ名誉会員に選出されたヴェルディは、一方で聴衆は作品に正当な評価を向けていないと感じ、「もうオペラは書かない」と言って次の契約を断り、サンターガタの農場へ身を引っ込めた。
※この「ヴェルディ万歳」の解説は、「ジュゼッペ・ヴェルディ」の解説の一部です。
「ヴェルディ万歳」を含む「ジュゼッペ・ヴェルディ」の記事については、「ジュゼッペ・ヴェルディ」の概要を参照ください。
- ヴェルディ万歳のページへのリンク