ヴェルディとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/10/13 13:55 UTC 版)
「フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ」の記事における「ヴェルディとの関係」の解説
ヴェルディとピアーヴェの間には膨大な量の書簡が残されている。ピアーヴェは詩文に優れる、といっても、特に1840年代にあってはオペラの楽典、舞台上の効果などに関してほぼ素人同然であり、ヴェルディは題材に対して自分はどう考えるか、どのように新奇性を追求すべきか、などを事細かく、噛んで含めるようにピアーヴェに教えており、これが今日ではヴェルディのオペラ制作における第一級の資料として役立っているのである。 私生活においても、ヴェルディや妻ジュゼッピーナはピアーヴェ一家と深い親交を欠かさなかった。ピアーヴェは1848年革命に際して、あるいは1859年からのイタリア統一戦争に際して、ヴェルディが彼の政治的見解を忌憚なく吐露した数少ない友人であった。一方では、ヴェルディが「大家」となった後もお互いに手紙で敬称でなく、あだ名で呼び合うこともできる関係でもあり、これは他の全ての台本作家たちとは異なっていた。 もっとも経済的報酬の面ではヴェルディとピアーヴェとでは雲泥の差であった。2人の第一作『エルナーニ』ではヴェルディはフェニーチェ劇場からの報酬のうち僅か15分の1をピアーヴェに割いてやっただけ(ヴェルディは当時としては異例なことに作曲者が台本作家に報酬を支払う方式に固執した)だったし、最後の『運命の力』に至ってはヴェルディの6万フランス・フランに対してピアーヴェは3千フランと、むしろその格差は拡大しているのである。ヴェルディが病臥中のピアーヴェに経済支援をしたのは、対等の友人のそれというよりは優位に立つ者の慈善だったかもしれない。
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