ヴェルディとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/18 05:49 UTC 版)
「ジュゼッピーナ・ストレッポーニ」の記事における「ヴェルディとの出会い」の解説
ストレッポーニがヴェルディと初めて出会ったのは彼が処女作『オベルト (Oberto, conte di San Bonifacio )』を作曲、初演準備している頃(1839年、もっとも同作初演にストレッポーニは参加していない)ではないかと考えられているが、この時点ではヴェルディの妻マルゲリータや息子イチリオ・ロマーノも存命中であり、またヴェルディ自身が社交の苦手な垢抜けしない男性だったこともあり、2人の間に何がしかの関係を窺わせるような証拠は存在しない。その後ヴェルディは息子と妻を相次いで病気で亡くし、オペラ『一日だけの王様 (Un giorno di regno, ossia il finto Stanislao )』が失敗したこともあって(1840年)、作曲家としてのキャリアを一旦断念しかかるに至る。 そのヴェルディが1842年に作曲・初演し、大成功させた出世作『ナブコドノゾール』で、ソプラノの難役アビガイッレ役を歌ったのがストレッポーニであった。数公演が終了した後、興行的大成功を喜んだ支配人メレッリがヴェルディに白紙の小切手を渡し、当惑したヴェルディがストレッポーニに相談、彼女はベッリーニが『ノルマ』の成功で8,000オーストリア・リラを得た(1831年)という例を挙げて同額をヴェルディに提案、彼はメレッリからその金額を得た、との逸話があるが、もしこれが本当なら1842年頃には少なくともその程度の相談事を行える仲だった、と言えるだろう。
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