ヴァチカンに祀られた昭和の殉難者とは? わかりやすく解説

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ヴァチカンに祀られた昭和の殉難者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 05:32 UTC 版)

品川寺」の記事における「ヴァチカンに祀られた昭和の殉難者」の解説

ローマ教皇庁ヴァチカンには、昭和殉難者1068の霊が祀られている。連合国の手で「戦犯」として裁かれたABC級すべての日本人法務死」者の霊が、世界キリスト教カトリック総本山ヴァチカンに、他ならぬローマ教皇によって祀られのである時のローマ教皇パウロ6世に、「日本人殉難者のためにミサを」と訴えたのは仏教徒仲田順和師であった昭和501975)年にヴァチカン訪れた折に、かねてより心を痛めていた「戦犯とされた人々」の鎮魂慰霊のために、宗教の違い超えて願い出たのである真言宗醍醐寺派別本山品川寺仲田順和師の願いを、パウロ6世快く承諾した。しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは、教皇訃報であったその後襲ったヨハネ・パウロ1世急逝し異教徒願い空しく閉ざされたと思われた。 その順和師のもとに、ヨハネ・パウロ2世から親書届けられたのは5年後昭和55年19804月内容は「5年前約束果たしたい」との思いもかけぬものであったローマ教皇庁は、異教徒願い忘れてはいなかったのであるパウロ6世真心応えようと、帰国直後から作製依頼していた五重塔殉難者1068位牌納めヴァチカン奉納されたのは、同年5月のことである。醍醐寺五重塔精巧に模した塔は、「戦犯慰霊共鳴した栃木県大田原市木工芸家星野皓穂が、3年歳月をかけ無料奉仕完成させたもの。5月21日には仲田星野参列し教皇ヨハネ・パウロ2世のもと昭和殉難者のための荘厳なミサヴァチカンでとり行われた現地報道法王挨拶。「日本から来た仏教徒訪問者たちを、特別なやり方で、あたたかく歓迎しますあなた方に平和の祝福希望します。われわれ自身について真実受容と、われわれの生存目的その内部に存する平和を。すべての人間威厳対す尊重存する他人との平和を。神がその恩恵あなた方にお示しにならんことを、祈ります。」

※この「ヴァチカンに祀られた昭和の殉難者」の解説は、「品川寺」の解説の一部です。
「ヴァチカンに祀られた昭和の殉難者」を含む「品川寺」の記事については、「品川寺」の概要を参照ください。

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