ヴァチカンに祀られた昭和の殉難者
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「品川寺」の記事における「ヴァチカンに祀られた昭和の殉難者」の解説
ローマ教皇庁・ヴァチカンには、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られている。連合国の手で「戦犯」として裁かれたABC級すべての日本人「法務死」者の霊が、世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンに、他ならぬローマ教皇によって祀られたのである。 時のローマ教皇・パウロ6世に、「日本人殉難者のためにミサを」と訴えたのは仏教徒の仲田順和師であった。昭和50(1975)年にヴァチカンを訪れた折に、かねてより心を痛めていた「戦犯とされた人々」の鎮魂と慰霊のために、宗教の違いを超えて願い出たのである。真言宗醍醐寺派別格本山品川寺の仲田順和師の願いを、パウロ6世は快く承諾した。しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは、教皇の訃報であった。その後を襲ったヨハネ・パウロ1世も急逝し、異教徒の願いは空しく閉ざされたと思われた。 その順和師のもとに、ヨハネ・パウロ2世から親書が届けられたのは5年後の昭和55年(1980)4月、内容は「5年前の約束を果たしたい」との思いもかけぬものであった。ローマ教皇庁は、異教徒の願いを忘れてはいなかったのである。 パウロ6世の真心に応えようと、帰国直後から作製を依頼していた五重塔に殉難者1068柱の位牌を納め、ヴァチカンに奉納されたのは、同年5月のことである。醍醐寺五重塔を精巧に模した塔は、「戦犯」慰霊に共鳴した栃木県大田原市の木工芸家星野皓穂が、3年の歳月をかけ無料奉仕で完成させたもの。5月21日には仲田・星野も参列し、教皇ヨハネ・パウロ2世のもと昭和殉難者のための荘厳なミサがヴァチカンでとり行われた。 現地の報道、法王の挨拶。「日本から来た仏教徒の訪問者たちを、特別なやり方で、あたたかく歓迎します。あなた方に平和の祝福を希望します。われわれ自身についての真実の受容と、われわれの生存の目的がその内部に存する平和を。すべての人間の威厳に対する尊重が存する他人との平和を。神がその恩恵をあなた方にお示しにならんことを、祈ります。」
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