ロードレースライダー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:01 UTC 版)
「青木拓磨」の記事における「ロードレースライダー時代」の解説
兄弟のふたりと同じくポケバイとミニバイクレースを経て、1990年にロードレースデビュー。1991年に国際A級に特別昇格し、全日本ロードレース選手権GP250クラスに参戦。兄弟ふたりが海外進出しても国内に残り、1994年はGP500クラス廃止により国内最高峰となったスーパーバイククラスへ転向。1995年はホンダワークスのHRCに入り、全日本チャンピオンを獲得した。また、NSR500に乗りワイルドカード枠で出場したロードレース世界選手権日本GPで3位表彰台を獲得した。1996年はスーパーバイククラスの連覇を達成。 1997年には世界GPのGP500クラス(現MotoGP)にレプソル・ホンダよりフル参戦。NSR500に比べ戦闘力の劣るNSR500Vながら、開幕戦マレーシアGPで一時トップを走行。イモラでは宣篤と兄弟で表彰台に立ち、最終戦オーストラリアはアレックス・クリビーレと優勝を争い、僅差の2位。フル参戦初年度ながら表彰台を3回獲得し、年間ランキング5位を獲得した。 1998年、シーズン前に結婚し、公私ともに充実した時に事故に見舞われる。2月に栃木にあるホンダのテストコースでテスト走行中、右コーナーでハイサイドを起こし、バイクのタンクに乗りかかる格好でコースアウト。速度は50km/hも出ていなかったが、バリアに頭部から突っ込み、脊髄損傷のため下半身不随となる。
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