ロベルト・カルヴィ殺害事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 07:02 UTC 版)
「ジュゼッペ・カロ」の記事における「ロベルト・カルヴィ殺害事件」の解説
1991年7月、マフィアから当局への情報提供者となったフランチェスコ・マリーノ・マンノイアは、アンブロシアーノ銀行(バチカン銀行が主要な株主だった)の頭取だったロベルト・カルヴィ(通称 神の銀行家)が1982年に殺害された原因は、銀行倒産によりマフィアの資金も失われ、その報復で殺害されたと主張した。 マンノイアによると、カルヴィを殺害したのは当時ロンドンにいたマフィア構成員フランチェスコ・ディ・カルロであり、殺害命令を下したのはカロとイタリアのフリーメイソンであるプロパガンダ・ドゥエ(P2)の会長であるリーチオ・ジェッリであった。 1996年、ディ・カルロが当局への情報提供者となった時、彼はカルヴィ殺害について関与を否定したが、カルヴィ殺害の為にカロが自分と接触してきたことは認めた。さらに、ディ・カルロはカロからの依頼を果たすことは出来ず、のちにカロに電話をした時に、カロが「あの件は既に全部片付いた。」と述べていたと語った。 1997年、ローマのイタリア検察官達は、エルネスト・ディオタッレーヴィ(ローマのマフィア組織バンダ・デッラ・マリアーナのボスの1人)やディ・カルロらと関係の深いサルデーニャのビジネスマンであるフラビオ・カルボニとカロがカルヴィ殺害に関与している可能性が高いという結論を出した。 2003年7月、検察当局はマフィアが自身の利益の為だけにカルヴィの殺害を行ったわけでは無いと結論づけた。だが、カルヴィを脅迫していたとされる政府関係者そしてフリーメーソン(P2)の代表者、バチカン銀行(IOR)とカルヴィ殺害事件との関係、いくつかのマフィア・ファミリーとイタリアの公社からカルヴィが多額の資金を預かって投資を行っていたことについての確信的な事は得られなかった。2005年10月、カルヴィ殺害事件についての裁判が始まった。 2007年3月、検察官ルカ・テスカローリは、既に有罪の身となっていたカロとフラヴィオ・カルボニそしてエルネスト・ディオタレッヴィとカルヴィのボディガードだったシルヴァノ・ヴィットールらに対し終身刑を求刑した。彼らは全員カルヴィ殺害に関与したことを否定した。 テスカローリは、カルヴィ殺害は犯罪組織特にコーサ・ノストラとして知られるマフィアから預かった多額の金を損失したことに対するマフィアからの処罰であると語り、結論づけた。 2007年6月6日、カロら被告達はカルヴィ殺人事件について無罪となった。20ヶ月に及んだ証言の後、裁判長は「証拠不十分」という意外な評決を下し、告訴を退けた。 カロは厳重に警備された刑務所から証言し、告訴内容を否定した。カロは「私はカルヴィを殺害することに関心は持たなかった。」「私にはそんな時間もそう思うことも無かった」、「仮に、私が彼の死を望んでいたならば、彼の殺害は自分の部下達に任せるだろうと思わないか?」と述べ、カルヴィの死は彼が沈黙を守ることを望んだ連中だと自己防御の為の論陣を張った。
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