リリアーナ・カスタニョーラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 15:15 UTC 版)
「トト (俳優)」の記事における「リリアーナ・カスタニョーラ」の解説
このようにトトは多くの成功を得たが、かといって女遊びではトトの心は満たされなかった。そのような状態に終止符を打ったのは、歌手でバレリーナのリリアーナ・カスタニョーラである。トトは彼女のいくつかの舞台写真を見た瞬間に一目惚れした。彼女はフランス人の二人の船乗りと二股をかけるというゴシップを持っていた。さらにそのうちの一人は嫉妬から、彼女が舞台でバレエを踊っている間、消音銃で彼女の顔を目掛けて撃ち、そのあと自殺した。その時の傷を隠すため、彼女はボブヘアーにしていた。そのようなわけで彼女は1929年にナポリにやってきて、ナポリ新劇場のトトのショーに出演した。トトはその機会を逃さず、彼女の住居にバラの花束とラブレターを送った。彼女は返信を書き、トトを招いた。これが彼らの(短く、困惑を起こした)ラブストーリーの始まりであった。舞台の上だけでなく実生活においても魅惑の妖婦であったカスタニョーラにとって、トトは真摯な恋愛を欲している真面目な人だと思えた。 最初の出会いの後、恋は嫉妬に変わった。トトは自分のツアーの期間中彼女に言い寄ってくる男に我慢がならず、度々彼女と言い争いになった。二人はゴシップの対象となり、その事で彼女は鬱になり、二人の関係はどんどん悪化していった。リリアーナはトトに対して病的になり、ただ同じ演劇に出演する間彼のそばにいたいとだけしか考えていなかった。しかしトトは、彼女の振る舞いに抑圧されており、パドヴァへの遠征で「パヴィリア」役として彼女が同伴する契約を受け入れるまで、彼女から距離を置こうと考えていた。この逸話は、リリアーナが睡眠薬自殺を遂げた事で終わった。トトはホテルで彼女の死体と遺書を発見した。 アントニオ、 私の妹のジーナに、私の服を全部あげると言ってちょうだい。彼女に、私は幸せじゃなかったと伝えて。だってあなたはこのところずっと私を訪ねてくれなかったじゃない?なんて不躾で、横柄な人!あなたが私によくしてくれた?そんなの知らないわ。今、私の手は震えてるの。ああ、あなたがそばにいてくれたら!あなたが私を助けてくれたでしょ?アントニオ、私は今までなかったほど冷静よ。私の人生は恵まれない灰色だったと言って笑ってちょうだい。誰の事も見ないわ。私あなたにそう誓って、約束を守ったわよ。今夜、帰った時に黒猫が私の眼の前を通ったの。で、今これを書いてる時に、別の黒猫が下の通りで鳴き続けてるわ。なんてバカバカしい一致なんでしょうね。さよなら。あなたのリリア--手紙 翌朝トトが彼女の死体を発見した時、トトは彼女の気持ちを理解しておらず、彼女が無責任に多くの男と浮名を流していると思い込んでいた事に責任を感じた。彼はそれを一生の重荷として引きずり、彼女の髪を自分の家の墓に埋め、また後に生まれた娘に(通常ナポリの伝統では父方の祖母の名を取るためアンナと名付けるはずだったが、それを覆して)リリアーナと名付けた。トトはまた彼女の死体とともに発見した彼女の、おそらく死を待つ間に涙を拭いたであろうマスカラのついたハンカチを形見に持ち続けていた。 事情聴取の終わったその日の夜、トトはパドヴァへの公演に旅立った。1930年3月の事である。翌月ローマに戻った後、ウンベルト1世劇場で新たな公演を始め、チャーリー・チャップリンへのオマージュを演じた。また前年に続いてマレスカへも遠征した。
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