ランニングワイルドとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > ミュージシャン > ロック・バンド > ランニングワイルドの意味・解説 

ランニング・ワイルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 04:29 UTC 版)

ランニング・ワイルド

ドイツ・ヴァッケン公演(2018年8月)
基本情報
別名 Granite Hearts (1976-1979)
出身地 ドイツハンブルク
ジャンル スピードメタル
パワーメタル
ヘヴィメタル
ジャーマンメタル
活動期間 1976年 - 2009年
2011年 - 現在
レーベル ノイズ・レコード
GUN レコード
SPV/Steamhammer
公式サイト running-wild.net
メンバー ロックン・ロルフ (Vo/G)
ピーター・ジョーダン (G)
オーレ・ヘンペルマン (B)
マイケル・ウォルパース (Ds)
旧メンバー 別記参照

ランニング・ワイルドRunning Wild)は、ドイツ出身のスピードメタルバンド

アクセプト」らと並んでジャーマンメタルの草創期から活動し、海賊をモチーフにしたスタイルを展開している古参のグループ。2009年に解散するも、撤回して再始動を果たしている[1]

略史

1976年 - 1990年

主宰ロックン・ロルフ (2014年)

1976年 前身となるスクール・バンド「Granite Hearts」結成。当初のメンバーは以下のとおり。

G,Vo:ロックン・ロルフ
G:ウヴェ・ベンディヒ
B:ヨルグ・シュワルツ
Ds:ミハエル・ホフマン
結成からまもなく、ベースがカースティン・ダヴィドにチェンジ。
この年の内に初のライブを経験する。

1979年 バンド名をランニング・ワイルドに変更。「ジューダス・プリースト」の前年にリリースされた同名曲にちなむ。

1981年 デモテープ、「Hallow The Hell」「War Child」「King Of The Midnight Fire」をレコーディング。ベーシストはマティアス・カウフマンに、ドラマーはハッシェ(ヴォルフガング・ハーゲマン)にそれぞれチェンジしている。

1983年 マティアスが兵役のために脱退。ほぼ同時にウヴェも脱退する。後任には、ギタリストにプリーチャー(ゲラルド・ヴァーネッケ)、ベーシストにステファン・ボリスが迎えられた。

新しいデモテープ、「Heavy Metal Like A Hammerblow」を製作。
新興レーベルノイズコンピレーション・アルバム『Rock From Hell』に、「Heavy Metal Like〜」から「Adrian」「Chains & Leather」の2曲を提供。このアルバムにはグレイヴ・ディガーも参加していた。

1984年 ノイズのコンピレーション・アルバム『Death Metal』に「Iron Heads」「Bones To Ashes」の2曲を提供。

ノイズと正式に契約し、6月にデビュー・アルバムのレコーディングを開始。
1stアルバム『Gates To Purgatory』リリース。
シングル「Victim Of States Power」リリース。このシングルにはそもそもタイトルが付けられておらず、便宜的に「Walpurgis Night」と呼ばれていた。
10月、デビュー後初のライブ。グレイヴ・ディガーとシナーとのライブだった。

1985年 4月、シナーとともにドイツ国内をツアー。

神学を学んでいたプリーチャーが脱退、聖職者に転身した。これに伴い、ギタリストとしてマイク・モティが加入。
2ndアルバム『Branded And Exiled』リリース。

1986年 モトリー・クルーのヨーロッパツアーのオープニングアクトに大抜擢される。

5月、初のアメリカツアーを行う。

1987年 3rdアルバム『Under Jolly Roger』リリース。前2作の悪魔的イメージを払拭し、現在まで引き継がれる海賊のイメージを確立。

ベーシストがステファンからヤンス・ベッカーに、ドラマーがハッシェからステファン・シュワルツマンにチェンジ。
4月、ヘッドライナーとして初めてヨーロッパツアー。
10月、「Ready For Boarding」と銘打ってヨーロッパツアー。

1988年 前年の「Ready〜」ツアーから、ドイツ・ミュンヘンおよびボーフムでのライブを録音したライブアルバム『Ready for Boarding』をリリース。未発表曲「Puragatory」も披露している。

4thアルバム『Port Royal』リリース。
ステファンがU.D.O.に引き抜かれ、後任にイアン・フィンレイが加入。

1989年 イアンが腕を骨折し、ツアーのための代役にヨルグ・マイケルが起用される。

先行シングル「Bad To The Bone」リリース。
5thアルバムDeath Or Gloryリリース。
ツアーに合わせてシングルのレコーディングを開始。

1990年 シングル「Wild Animal」リリース。

イアンが脱退し、ヨルグを再びツアーメンバーとして起用。
1月、1ヵ月半にわたる「Death Or Glory」ツアーが大成功を収める。
5月、『Death〜』の日本盤がリリースされ、デビュー6年目、アルバム5枚目にして日本デビューを飾る。
正式ドラマーとして、バンドのローディーだったA.C.が加入。
マイクが脱退し、後任にシンバルメーカーパイステの社員だったアクセル・モーガンが加入。

1991年 - 2000年

1991年 シングル「Little Big Horn」をリリース。

4月、3ヶ月にわたるヨーロッパツアーがスタート。
5月、6thアルバムBlazon Stoneリリース。売り上げ12万枚を記録。
初のベスト・アルバムThe First Years Of Piracyリリース。全曲『Blazon Stone』時のメンバーによってリ・レコーディングが行われている[2]
ツアー終了後、ヤンスとA.C.が脱退。

1992年 新しいリズム隊を、U.D.Oから引き抜く。ベーシストはトーマス・ズムズンスキー、ドラマーは出戻る形になったステファン・シュヴァルツマン

7月、シングル「Lead Or Gold」リリース。
9月、7thアルバム『Pile of Skulls』リリース。
11月、ロルフとアクセルがプロモーションのために来日。

1993年 1月、ツアースタート。

ツアー終了後、『Pile〜』レコーディングからロルフとの関係が悪化していたアクセル、ステファンの2人が解雇される。
12月、ギタリストとして元リスクシロ・ハーマンが加入。ドラマーは以前ツアーに帯同したヨルグ・マイケルを正式メンバーに迎える。

1994年 2月、先行シングル「The Privateer」リリース。

4月、8thアルバム『Black Hand Inn』リリース。翌月からグレイヴ・ディガーとともにヨーロッパツアー。

1995年 6月、レイジグレイヴ・ディガーガンマ・レイアイスド・アースなどとともに、「Summer Metal Meeting」と銘打たれたパッケージツアー。

10月、9thアルバム『Masquerade』リリース。このアルバムを最後に、レコード会社をノイズ・レコードからG.U.N.に移籍。

1996年 「Masquerade」ツアー。

1998年 10thアルバム『The Rivalry』リリース。

日本オリジナル選曲で、ロルフも選曲に参加したベスト・アルバム『The Story of Jolly Roger』リリース。
3月、ストラトヴァリウスへの専念を理由にヨルグが脱退。翌月からのドイツツアーにはレイジのクリス・エフティミアディアスを起用。
9月、再度のドイツツアーが、ロルフのガールフレンドの急病のためキャンセルされる。

1999年 『Death〜』から『Masquerade』までの5枚が、ノイズからリマスターバージョンとして再発される。

新作のレコーディングに向け、スタジオ・ドラマーとしてアンジェロ・サッソを起用。

2000年  1月、11thアルバムVictoryリリース。

3月、ドイツツアー。ドラマーとして再びクリスを起用。
スウェーデン、ドイツ、スペインなど、ヨーロッパ各地でのロック・フェスティバルに多数出演。

2001年 - 2010年

ドイツ・ボン公演 (2005年9月)
ドイツ・ヴァッケン公演 (2009年7月)

2001年 シロ、トーマスが脱退。ベーシストとしてペーター・ピヒェルを迎え、ロルフがギタリスト兼務、スタジオ・ドラマーは再びアンジェロという形で新作のレコーディングを開始。

2002年 2月、12thアルバム『The Brotherhood』リリース。

3月、ライヴギタリストとしてベアンド・アウファーマンが、正式ドラマーとしてマティアス・リーベトゥルースが加入し、このメンバー4人でドイツツアー。
6月、イタリアの「Gods Of Metal Festival」に出演。この年のフェスティバルにはマノウォーブラインド・ガーディアンシンフォニー・エックスなども出演した。
9月、オスナブリュックでのライブを収録した『Live』を2CD、CD&DVD、DVDの形でそれぞれリリースされた。

2003年 8月、ドイツの「Wacken Open Air」に出演。

9月、デビュー20周年を記念したアルバム『20 Tears In History』リリース。

2004年 『20 Years〜』が日本でキングレコードからリリースされる。

2005年 13thアルバム『Rouges En Vogue』リリース。この後、ギタリストのピーター・ジョーダンが加入。

2009年 7月30日、Wacken Open Airへの出演を最後に解散。

2011年 - 現在

2011年 秋頃、ロルフが再結成を発表。復活作『Shadowmaker』を2012年4月にリリース[3]

2013年 再結成後2作目(通算15作目)のアルバム『Resilient』を10月にリリース[4]

2016年 16thアルバム『Rapid Foray』を8月にリリース[5]

2021年 5年ぶりの17thアルバム『Blood on Blood』をリリース[6]

2023年 ジャーマンメタル全盛期時代のメンバーギタリスト、マイク・モティが死去[7]

補足

1992年に、ロックン・ロルフと、当時のギタリスト アクセル・モーガンが、プロモーションのために来日したのみで、日本でライブが行われたことはない。理由の一つとして、ロルフが大の飛行機嫌いである点が大きい。同様の理由で、アメリカ大陸でもライヴをしていない。

1990年代東芝EMIビクターが日本盤を発売していたが、2002年以降のスタジオ・アルバムは日本盤が発売されず、2013年に『レジリエント』がスピリチュアル・ビーストからしばらくぶりに日本発売された。

メンバー

※2023年2月時点

現ラインナップ

旧メンバー

ギター
  • ウヴェ・ベンディヒ (Uwe Bendig (1976-84)
  • ジェラリド "プリーチャー" ワーネッケ (Gerald "Preacher" Warnecke) (1984-85)
  • マイク・モティ (Majk Moti) (1985-90) ♰RIP.2023
  • アクセル・モーガン (Axel Morgan) (1990-93)
  • シロ・ハーマン (Thilo Herrmann) (1994-01)
  • ベアンド・アウファーマン (Bernd Aufermann) (2002-04)
ベース
  • ヨルグ・シュワルツ (Jörg Schwarz) (1976)
  • クリステン・デヴィッド (Carsten David) (1976-79)
  • マティアス・カウフマン (Matthias Kaufmann) (1980-83)
  • ステファン・ボリス (Stephan Boriss) (1984-87)
  • ヤンス・ベッカー (Jens Becker) (1987-92)
  • トーマス・シュムジンスキー (Thomas Smuszynski) (1992-02)
  • ピーター・ピヒェル (Peter Pichl) (2002-09)
  • ヤン・S・エッカート (Jan S. Eckert) (2009)
ドラムス
  • マイケル・ホフマン (Michael Hoffmann) (1976-82)
  • ウォルフガング "ハッシェ" ハーゲマン (Wolfgang "Hasche" Hagemann) (1982-87)
  • ステファン・シュヴァルツマン (Stefan Schwarzmann) (1988-90)
  • ヨルグ・マイケル (Jörg Michael) (1990, 1994-98)
  • リュディガー "AC" ドレッファイン (Rudiger Dreffein) (1990-92)
  • クリス・エフティミアディス (Christos Efthimiadis) (1998-99, 2001)
  • アンジェロ・サッソ (Angelo Sasso) (2000-02) ♰RIP.2007
  • マティアス・リーベトゥルース (Matthias Liebetruth) (2002-09)

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

  • 1984 Gates to Purgatory
  • 1985 Branded and Exiled
  • 1987 『アンダー・ジョリィ・ロジャー』 Under Jolly Roger
  • 1988 『ポート・ロイヤル』 Port Royal
  • 1989 『デス・オア・グローリー』 Death or Glory
  • 1991 『ブレイズン・ストーン』 Blazon Stone
  • 1992 『パイル・オブ・スカルズ』 Pile of Skulls
  • 1994 『ブラック・ハンド・イン』 Black Hand Inn
  • 1995 『マスカレード』 Masquerade
  • 1998 『ライヴァルリー』 The Rivalry
  • 2000 『ヴィクトリー』 Victory
  • 2002 The Brotherhood
  • 2005 Rouges en Vogue
  • 2012 Shadowmaker
  • 2013 『レジリエント』 Resilient
  • 2016 Rapid Foray
  • 2021 『ブラッド・オン・ブラッド』 Blood on Blood

ライヴ・アルバム

  • 1988 『レディ・フォー・ボーディング』 Ready for Boarding
  • 2002 Live
  • 2011 The Final Jolly Roger

シングル

  • 1984 Victim Of States Power
  • 1989 Bad to the Bone
  • 1990 Wild Animal
  • 1991 Little Big Horn
  • 1992 Lead or Gold
  • 1994 The Privateer

ベスト・アルバム

  • 1991 ザ・ファースト・イヤーズ・オブ・パイラシー - The First Years of Piracy
    初期3枚から選曲された再録ベスト。
  • 1998 ストーリー・オブ・ジョリー・ロジャーThe Story of Jolly Roger
    日本独自選曲のベスト・アルバム。
  • 2003 20イヤーズ・イン・ヒストリー - 20 Years in History
    『The Brotherhood』までのアルバムから、各2曲ずつ収録した2枚組。全曲にリミックスが施されており、未発表曲や初レコーディングとなったアルバム・デビュー前の2曲も収録。
  • 2006 Best of Adrian

脚注

外部リンク


ランニングワイルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/09 06:01 UTC 版)

ダッカー」の記事における「ランニングワイルド」の解説

ステージ1(13)、7、14登場MSX版『グラディウス』に登場したダッカー比べると書き込み細かくなっている。黄色標準で、赤にカプセルというのは初代変わらない

※この「ランニングワイルド」の解説は、「ダッカー」の解説の一部です。
「ランニングワイルド」を含む「ダッカー」の記事については、「ダッカー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ランニングワイルド」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ランニングワイルド」の関連用語

ランニングワイルドのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ランニングワイルドのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのランニング・ワイルド (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのダッカー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS