ライトレール建設までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:08 UTC 版)
「キエフ・ライトレール」の記事における「ライトレール建設までの経緯」の解説
1960年代、キエフ西部のボルシチャゴフカ地区(ウクライナ語版)(Борщагівка)やヴィドラドニー地区(ウクライナ語版)(Відрадний)では大規模な住宅街の建設が進行していたが、その中で大きな課題となったのがこれらの地区とキエフ中心部を結ぶ輸送機関だった。計画当初は従来キエフ市内に存在した路面電車(キエフ市電)の延伸や、トロリーバス(キエフ・トロリーバス(ウクライナ語版))の連結運転などソビエト連邦(ソ連)各都市でも導入されている既存の方法が検討されたが、輸送量が1時間あたり25,000人以上となる計算結果が出された事により、これらの交通機関では大量の乗客を賄いきれない事が明らかになった。だが、当時キエフ市内に路線網を伸ばしていた地下鉄(キエフ地下鉄)の輸送量に対しては少ない数値であり、これらとは別の新たな交通機関が求められた。 そこで1967年、キエフ市で路面電車やトロリーバスを運営していたキエフ市路面電車・トロリーバス部門(Киевское трамвайно-троллейбусное управление、КТТУ)は、ソ連当局からの許可を得た上で、スペイン・バルセロナで開催された国際公共交通連合(英語版)(UITP、МСОТ)の会議に代表団を派遣し、同時に西側諸国を始めとした海外における新たな都市交通の視察を実施した。その中でも特に影響を受けたのが、ベルギーの首都・ブリュッセル市内を走る、路面電車と同一の規格ながら専用軌道を用いて高速運転を実施する都市鉄道・プレメトロ(英語版)(ブリュッセル・プレメトロ)だった。そして代表団からの報告を受け、1970年7月13日のソビエト連邦閣僚会議第538号決議により、キエフに新たな公共交通機関・高速路面電車(ライトレール)の建設が決定した。 高速・高頻度運転を行う高速路面電車(ライトレール)の運行システムは、西側諸国で発展したこれらの構造を導入するための基礎技術自体が存在しなかった事もあり、キエフ市路面電車・トロリーバス部門を中心としたプロジェクトとして独自に開発された。そして、1975年から最初の路線となるドニプロ川西側(右岸)の区間の建設が始まり、1978年12月30日から本格的な営業運転が始まった。
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