ヨーク・ファクトリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/03 05:36 UTC 版)
「ハドソン湾遠征」の記事における「ヨーク・ファクトリー」の解説
ラ・ペルーズは続いてハドソン湾会社の小さな船の大半を集め、8月11日にヘイズ川とネルソン川の間の半島にある交易基地ヨーク・ファクトリーに向けて出港した。ペルーズの報告書に拠れば、8月20日にヨークから約5リーグ (24 km) の地に到着した。砦の守備側はヘイズ川に面しており、ハドソン湾会社の商船キングジョージが停泊しており、流れの速いヘイズ川のために抵抗を受けながらそこに近づくのは不可能だった。 ラ・ペルーズはネルソン川の河口に入り、砦には約16マイル (26 km) 離れた後方から接近する作戦で、部隊をハドソン湾会社の小さな船に移乗させ、上陸作戦に備えさせた。続いて工兵にネルソン川の水深を測らせると、小さな船でもその浅さのために適切な上陸地点に接近するのが難しいことが分かった。その小さな船は引き潮のために泥の中に嵌り、翌朝3時まで脱出できなかった。ラングル艦長は上陸部隊の指揮官メジャー・ロスタンに泥地を徒歩で渉るよう提案した。ロスタンが同意し、浅瀬を横切るために出発した。彼等は知らなかったが、陸地まで行き着かなければ状態は良くならず、沼地を抜けて砦に辿り着くまでに2日間を要した。上陸部隊が移動している間に、悪天候のために艦隊の安全が脅かされていたので、ラ・ペルーズは艦隊に戻った。大時化の中でフリゲート艦2隻は水中の鋭い岩に碇綱を切られて碇を失った。 ヨーク・ファクトリーには60名の白人と12名のインディアンが駐屯していた。フランス艦船を視認するとハンフリー・マーテン知事は商品をキングジョージに積み込ませ、フランス軍の手に落ちないように図った。8月24日にフランス軍が到着すると、マーテンは砦ごと降伏した。艦隊の到着した夜の間に出港したキングジョージをラ・ペルーズは1隻のフリゲート艦に追わせたが、キングジョージ船長のジョナサン・ファウラーは湾の浅い水域を良く知っていたので、うまく追跡をかわすことができた。ロスタンは砦の守備隊を捕虜にし、取っていけないものを破壊し、木製の砦を灰燼に帰させた。ロスタンは砦を交易のために訪れるインディアンが使う貯蔵品を保存しておくよう注意を払った。これらの行為やラ・ペルーズが捕虜を扱う時の配慮はハーン、ルイ16世およびイギリス政府の認めることとなった。 ラ・ペルーズは8月26日になってから砦の占領を知り、うち続く悪天候とフリゲート艦のトラブルのために8月31日にやっとロスタンの部隊と合流した。降伏の条件にはセバーン砦など小さな前身基地の降伏も含まれていた。ラ・ペルーズは季節も遅くなっており、艦船や乗組員の状態も悪かったので、セバーン砦には行かないことにした。乗組員は壊血病などの病気を患う者が多かった。艦船に物資や補給品を積み込む課程で、小さな船5隻が転覆し、15名の者が溺れた。
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