ヨークファクトリー攻略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 02:48 UTC 版)
「ハドソン湾の戦い」の記事における「ヨークファクトリー攻略」の解説
他の2隻の貨物船うちの1隻は、捨て鉢になって砲撃を行ったが、望みを捨て、マストに降伏のしるしである白旗をすばやく掲げた。もう1隻は大急ぎで退却した。フランスは勝利をものにした。。 ペリカンも交戦中に破損していた。喫水線の上部に穴が開いており、破棄せざるを得なくなった。ペリカンは沈められ、乗員はヨークファクトリーのわずかに南側の野営地に集結し、ペリカンの代わりとなるプロフォンをはじめ、フランスの艦隊が到着した。それから5日間、ディベルヴィユは900人の軍勢を率いてハドソン湾総督のヘンリー・バレイ配下のイングランド兵と小競り合いを繰り返し、イングランドは9月13日に降伏した。フランスの手に落ちたヨークファクトリーはブルボン砦と改称され、ハドソン湾でイギリスに残された交易所はオルバニー交易所のみとなった。これにより、ディベルヴィユの輝かしい戦歴にまた新たな1ページが加えられた。ハドソン湾会社が、ヨークファクトリーを取り戻すのは、その16年後のことである。 ウィリアム王戦争後のレイスウェイク条約では、フランスがジェイムズ湾、イングランドがヨークファクトリーを確保することが決められていて、1697年9月20日に調印も終わっていたが、ヨークファクトリーがフランスのものとなったことで、逆に、フランスがヨークファクトリー、イングランドがジェイムズ湾を自国のものとするという条件で、改めて締結がなされた。このため、イングランドは、ヨークファクトリーの、2万ポンドの価値の毛皮をフランスに奪われた。
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