ヨークタウン: 1781年
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「アメリカ合衆国の歴史 (1776-1789)」の記事における「ヨークタウン: 1781年」の解説
詳細は「ヨークタウンの戦い」を参照 南部のイギリス軍はバージニアのヨークタウンまで進軍し、そこでイギリス艦隊に拾って貰ってニューヨークまで戻ることを期待していた。そのイギリス艦隊がチェサピーク湾の海戦でフランス艦隊に敗れたとき、ヨークタウンは罠に変わった。1781年10月、コーンウォリス将軍が指揮するイギリス軍はフランス軍と大陸軍の連合軍に包囲されたまま降伏した。 このイギリス軍敗北の報せで事実上アメリカにおけるイギリス軍の攻勢が終わった。イギリス本国ではアメリカ革命派に同情する者が多く、戦争を支持する声が強くなったことは無かったが、それがさらに弱まることになった。 国王ジョージ3世は戦争の継続を望んだが、その支持者達が議会の支配を失い、その後アメリカ本土への大きな攻勢が行われることは無かった。 独立戦争最後の海戦は1783年5月10日、ケープ・カナベラル海岸沖でHMSシビルを旗艦とする3隻のイギリス艦船が大陸軍の給与を奪おうとしたときに、ジョン・バリー艦長とその乗組員が戦ったことだった。
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