ユース時代〜クラブ時代
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幼稚園の年長の頃からボールを蹴っていたが小学2年生のときに2歳年長の兄・良太が所属していた関前SCでサッカーを始め、クラブ初の女子選手となる。 2005年、中学進学時に日テレ・メニーナ入団。2007年、14歳のときにトップチームである日テレ・ベレーザに2重登録され、10月21日の浦和レッドダイヤモンズ・レディース戦でなでしこリーグ初出場。 2008年、トップチームに昇格し、リーグ新人賞を受賞した。 2010年8月22日に行われたなでしこリーグカップ決勝・浦和レッズレディース戦では、後半45分にゴールを決め、チームを3-2の勝利に導き、大会MVPに選出された。 2011年のなでしこリーグでは、リーグ3位タイ・チームトップの9得点を挙げる活躍で、敢闘賞とベストイレブンを受賞した。11月6日に行われた第16節INAC神戸レオネッサ戦は、INAC神戸のリーグ優勝がかかった1戦だったが、0-1と1点ビハインドの65分に同点ゴールを挙げ、目の前での胴上げを阻止した。 2012年1月、右足小指の疲労骨折により全治3カ月と診断され、2月・3月の代表戦を欠場するが、2012年のリーグ開幕戦で復帰。 2012年11月、ドイツ・女子ブンデスリーガのTSG1899ホッフェンハイム(当時2部)への移籍が発表された。2012-13シーズンは9試合に出場して4得点を記録し、チームの1部昇格に貢献した。 2014年5月、バイエルン・ミュンヘンへの移籍を表明。 2015年2月に右膝外側側副靭帯を損傷、6月にワールドカップが控えていたため手術は行わず保存療法を選択した。加入1年目の2014-15シーズンにチームは39年ぶりにブンデスリーガを制覇した。 2015年8月、開幕前のプレシーズン最後の練習試合で右膝外側側副靱帯を損傷し、手術を行った。バイエルン・ミュンヘンは2015-16シーズンにリーグ2連覇を達成した。 2016年10月2日に行われたブンデスリーガ第4節レバークーゼン戦で相手選手と接触して後半26分に負傷交代、この怪我で戦列からの離脱を余儀なくされた。 2017年3月、度重なる怪我に苦しんだため、バイエルン・ミュンヘンを退団して日本へ帰国することを自身のブログで発表した。日本に帰国後、右膝内側側副靱帯の手術を行った。 そして6月にINAC神戸レオネッサに移籍することを発表した。9月9日に行われたなでしこリーグ第14節マイナビベガルタ仙台レディース戦で後半39分に途中出場し、実戦復帰を果たした。 2020年12月21日、アストン・ヴィラLFCへの移籍が発表された。 2021年5月26日、アーセナル・ウィメンFCへの移籍が発表された。
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