ヤトの変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:28 UTC 版)
スラヴ祖語の母音であるヤトは、歴史の経過と共にその発音が変化し、シュト方言では3つの異なる形となった。 エ方言(ekavski): ヤトは母音「e」へと合流した イ方言(ikavski): ヤトは母音「i」となった イェ方言(ijekavskiあるいはjekavski): 母音は長さに応じて「ije」あるいは「je」と書かれる 歴史的には、ヤトの変遷はシュト方言の発展の以前から、教会スラヴ語での記述に見られる。これが各方言の形成期の始まりに影響している。初期の文書は、ほぼ全て、ないし大半が教会スラヴ語のセルビア、クロアチア変種である。確実にヤトが「エ」となった変化を反映している、知られる限り最古の文書はセルビアで書かれたものであり("beše"、「…であった」)、1289年と記録されている。「イ」はボスニアで1331年に書かれたもの("svidoci"、「証言」)であり、また「イェ」はクロアチアで1399年に書かれたもの("želijemo"、「我らは希求する」)であった。部分的な変化を窺い知ることのできるものはより古い文書からも見つかっており、たとえばイ方言はボスニアで13世紀後半に書かれたものがある。しかし、遅くとも前述の時代までにはヤトの変化があったことは広く認められている。20世紀後半、ヤトの現出が一定でない局所的な方言が多く発見された。教会スラヴ語に入り込んだ各地の訛りの影響は次第に増えていき、やがては完全に各地の方言に取って代わられていった。この過程は19世紀中ごろまで、相互の影響なしにクロアチア人、セルビア人、ボシュニャク人の間でそれぞれ独立に進行していった。たとえば、ボシュニャク人の間では、失われた音素 /h/ が複数の語に再導入された。これは、主にクルアーンに基づく宗教教育の影響である。 エ方言は主にセルビアで、そしてクロアチア西部でも限定的に使用されている。イ方言は西部および中央ボスニア、西部ヘルツェゴビナ、スラヴォニア、そしてクロアチアのダルマチア地方で広く話されている。イェ方言は、クロアチアの主要部、ダルマチア南部、ボスニアおよびヘルツェゴビナの大半、モンテネグロの大半で話されている。以下に例を示す。 日本語基本エ方言イ方言イェ方言時間 vrěme vreme vrime vrijeme 美しい lěp lep lip lijep 女の子 děvojka devojka divojka djevojka 真実の věran veran viran vjeran 座る sědĕti sedeti (sèdeti) siditi (sìdeti) sjediti 白髪が伸びる sědeti sedeti (sédeti) siditi (sídeti) sijediti 熱する grějati grejati grijati grijati 長い「ije」は、多くのイェ方言の話者の間で二重母音的である。ゼタ方言や多くの東ヘルツェゴビナ方言では、「ije」は2つの音節となっている。セルビアの音声学者は、「ije」を独立した音素とは見なしていない。この差異は、クロアチアの国歌「私たちの美しい故国」とモンテネグロの国歌「五月の夜明け」の1番の歌詞に顕著に見ることができる。それぞれ、前者では「Lije-pa na-ša do-mo-vi-no」、後者では「Oj svi-je-tla maj-ska zo-ro」と歌われている。
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