ミットフォード家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 06:38 UTC 版)
「ミットフォード姉妹」の記事における「ミットフォード家」の解説
ミットフォード家はノーサンバーランドのジェントリーの家系であった。また親族には下院議長を務めたジョン・フリーマン=ミットフォードをはじめとするフリーマン=ミットフォード家があり、この家系が最初のリーズデイル男爵、伯爵を名乗っていた。18世紀から19世紀前半にかけての著名な歴史家であったウィリアム・ミットフォード(英語版)等を輩出している。ウィリアムの曾孫で、伯爵令嬢を母に持つアルジャーノン・ミットフォードは、日本語に堪能で外交官として活躍し、幕末から明治時代初期の日本に赴任したことでも有名である。1886年、アルジャーノンは従兄弟のリーズデイル伯爵ジョン・フリーマン=ミットフォード(英語版)の死にともなってフリーマン=ミットフォード家の財産と家名を受け継ぎ、1902年には新たに初代リーズデイル男爵に叙された。アルジャーノンの子が2代目リーズデイル男爵のデヴィッド・フリーマン=ミットフォード(David Bertram Ogilvy Freeman-Mitford、1878年3月13日 - 1958年3月17日)である。 デヴィッドは学問が嫌いで、サンドハースト王立陸軍士官学校の受験に失敗し、若い頃はセイロンの紅茶プランテーションで暮らした。1900年にイギリスに戻ると、反ユダヤ主義のファシスト思想に傾倒し、エキセントリックで風変わりな人物として知られた。1904年2月、枢密院議員の庶子で雑誌『バニティ・フェア』などの発行人であるトマス・ギブソン・ボウルズ(英語版)の娘、シドニー(Sydney Bowles Freeman-Mitford、1880年5月 - 1963年5月25日)と結婚した。夫妻の間にはナンシー、パメラ、トーマス、ダイアナ、ユニティ、ジェシカ、デボラの7人の子が生まれた。 夫婦とも姉妹の教育には熱心でなく、学校にやらずに自宅に家庭教師をつける程度で、早く良家に嫁に行くことを望んでいた。地主ではあるが、貴族としてはさほど豊かではなく、経済的な理由から子供たちは地方のカントリーハウスを転々として育った。
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