英独開戦阻止へ努力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/02 04:40 UTC 版)
「ユニティ・ヴァルキリー・ミットフォード」の記事における「英独開戦阻止へ努力」の解説
ドイツとイギリスを行き来していたユニティだったが、英独の緊張は高まっていき、1938年6月にイギリスではドイツへの渡航にビザ申請が必要になった。これに激怒したユニティはミュンヘンに永住する決意を固めた。ヒトラーは彼女の決意を歓迎し、彼女にふさわしい住居を提供すべしと命じ、高級住宅がユダヤ人から没収されて彼女に与えられることとなった。いまだ持ち主であるユダヤ人老夫婦が不安に怯えながら暮らしている時にユニティは女友達と一緒に家の中に上がり込んできて計量やインテリアプランを立てはじめたという。ミットフォード家の伝記作家メアリー・S・ラベル(en)は「この部屋を手に入れた時点でユニティは一線を越え、もはや歴史的に名誉回復は不可能な地点へ踏み込んでしまった」と評価する。ユニティ当人はダイアナの手紙の中でそのユダヤ人たちについて「海外へ行くんですって」と書いている。 それでもユニティは開戦直前まで英独の戦争を回避したがっていた。1939年にイギリスの『デイリー・ミラー』紙は「ミス・ミットフォードの願い」と題するユニティの寄稿文を掲載した。そこでユニティは「イギリスとドイツには共通点が多い。敵になる必要はない。ヨーロッパ大陸一の強国ドイツと広大な植民地を持つイギリスは同盟国になるべきである」「ヨーロッパが栄えるか滅びるかその命運は北方ゲルマン人種にかかっている」として英国民に英独同盟を訴えた。ユニティは常々家族にもしドイツとイギリスが戦争になったらそんな悲劇は見たくない、死んだ方がマシだ、と語っていた。 1939年8月22日には姉ダイアナに独ソ不可侵条約について「これでイギリスもヒトラーに刃向おうとはしないはずだ」と喜ぶ手紙を書いている。8月終わり頃、イギリス領事はユニティを呼び出して「これ以上ドイツに留まるならイギリスの保護は受けられなくなる」と通告して帰国を薦めたが、ユニティは「自分にはそれよりずっと強力な保護(ヒトラー)がある」と言い返して帰国を拒否した。 だがこの頃のユニティの環境は孤独だった。戦争を目前にしてヒトラーは国事に忙しく、イギリスの友達はみな帰国し、ドイツの友達は実家に帰ってしまった。ユニティの方から友達に会いに行ってもみな戦争に怯えていた。
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