ミッション失敗と放射性物質の行方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 01:11 UTC 版)
「マルス96」の記事における「ミッション失敗と放射性物質の行方」の解説
プロトンロケットは1996年の11月16日20:48:53に打ち上げられ、衛星待機軌道までの打ち上げを成功裏に終えたが、計画されていた4段目ロケットブロックD-2の2度目の点火に失敗し、打ち上げが成功しなかった。宇宙機を分離し、エンジンは自爆を行おうとしたが不幸なことに4段目は爆破できず、宇宙機は地上へ落下することになった。4段目とマルス96はともに太平洋上へと落下したが、アメリカとロシアの資料によってタイムラインに差異がある。 事故原因の究明のために調査委員会が立ち上げられたが、マルス96の打ち上げ失敗原因がブロックD-2に由来するものかマルス96自体に由来するのか判断することができなかった。失敗はロシアの地上局の視認範囲外で実施されたブロックD-2の2度目の点火時に起こっており、打ち上げ失敗原因を特定するのに必要なテレメトリデータが不足していたため調査委員会は終了した。 もともと、マルス96の部品は大気で燃え尽き、破片も太平洋に墜落したとたと考えられていた。しかしながら、1997年3月アメリカ宇宙軍はマルス96の再突入路の想定設計のミスを認めた。コロラドスプリングスにあるアメリカ宇宙軍の報道担当長官Stephen Boylan少佐は「我々は再突入後の数週にわたって、メディアを通じて多数の再突入の目撃者を確認している」とし、「更なる分析によれば、実際は地上へ衝突したと考えることが妥当である」とする。マルス96はチリのイキケ東部32kmの位置を中心とする南西から北東にかけての長径320km、短径80kmの楕円の地域のどこかに落ちたと考えられる。 マルス96には火星大気に突入するために設計された地上局2基とペネトレータ2基の計4個の部品が搭載されており、これらは原子力電池用に合計200グラムのプルトニウム238を積んでいた。また、これらの降下装置は地球の大気への突入時も非破壊で残余可能であった。特に2基のペネトレータは大地との衝突でも安易に破壊されない設計となっていた。しかしながら、ロシアは回収の努力を行っておらず、マルス96やブロックD-2などの破片は見つかっておらず、現在までこれらの放射性物質は回収されていない。
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