マークV戦車とは? わかりやすく解説

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マーク V 戦車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/24 11:56 UTC 版)

マーク V 戦車
性能諸元
全長 8.05 m[1]
全幅 4.09 m(雄型)[1]
3.20 m(雌型)[1]
全高 2.64 m[1]
重量 29 t(雄型)[1]
28 t(雌型)[1]
懸架方式 なし(硬直フレーム、ワイヤーロープ式サスペンションを後付け可能)
速度 8.0 km/h[1]
行動距離 72 km (半径、燃料93ガロンで約10時間稼働)
主砲 23口径57 mm(6ポンド)砲×2(雄型、207発)[1]
副武装 オチキス 7.7 mm(.303)機関銃×4(雄型)または×6(雌型、6,000発)[1]
装甲 6-16 mm、前面最大16 mm、側面12 mm、上面/下面8 mm[1]
エンジン リカード(Ricardo)水冷直列6気筒ガソリン
ウィルソン(Wilson)エピサイクリック式変速機(前進4速、後退1速)
150 hp (110 kW、1,200 rpm)[1]、225 hp(マーク V**)
乗員 8 名(雄型: 車長、操縦手、装填手×2、砲手×2、機銃手×2 / 雌型: 車長、操縦手、機銃手×6)
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マーク V 戦車(マーク 5 せんしゃ、英語: Mark V tank)は、イギリスが開発した世界初の戦車であるマーク I 戦車の改良型であるマーク IV 戦車の問題点を改善・改良した戦車である。マーク I 戦車から続く菱形戦車の集大成で、第一次世界大戦に投入された量産型では最終型になる。

概要

マーク シリーズは、1916年ソンムの戦いでのマーク I 戦車の導入以降、菱形車体を基調とした重戦車として進化した。マーク IV 戦車(1917年、1,200輌生産)は塹壕越え性能を高めたが、速度不足(最大6 km/h)と信頼性問題が指摘された。

1917年末、マーク V 戦車の設計が開始され、マーク IV 戦車の遅延した改良点を反映。戦車供給委員会(Tank Supply Committee)のアルバート・ジェラルド・スターン中佐らが主導し、ウィルソン(Wilson)エピサイクリック変速機と150 hp リカード(Ricardo)エンジン×1基を採用(150 hp×2基は誤情報)。1918年3月、プロトタイプ完成、5月から量産。

生産はメトロポリタン社とウィリアム・フォスター社で進められた。

戦末期の西部戦線で使用された。1918年7月アメル(Hamel)の戦いで初投入(60輌、豪軍支援)、8月アミアン(Amiens)の戦いで本格投入(288輌、ホイペット/マーク V*と連携、突破成功)。ヒンデンブルク(Hindenburg)線攻撃でも使用。ドイツ反戦車砲に苦戦したが貢献大。

米軍第301重戦車大隊(301st Heavy Tank Battalion)が19輌使用(9輌損傷)。

イギリスのマーク V 戦車は戦後、ヴィッカース中戦車 Mk.Iに置き換えられ、フランスはマーク V* 戦車を1930年まで訓練に使用。

設計

マーク V 戦車は、菱形車体で、前面の鋭角が塹壕越えを容易にした。エンジンを前方にオフセット配置し、重量配分を改善。武装は男性型/女性型で分かれ、換気ファン追加で有毒ガス耐性を高めた。ただし、換気は依然不十分であった(外部空気吸引で排気/煙溜まり、乗員中毒多発)。

リベット接合の装甲製車体で、耐久性を重視した設計である。

総重量28トン(雌型)-29トン(雄型)、速度8 km/h、と、重戦車の限界を露呈したが、換気改善と乗員8 名体制で運用性を向上させた。菱型の車体構成はマーク IV 戦車とほぼ同じであるが、各種の改良が加えられている。

まず、それまでのモデルでは剥き出しで車内に配置されていたエンジンが、隔壁で仕切られた機関室に設置されたことで車内の環境が大幅に改善した[2]

さらに駆動系では戦車用として新たに開発されたリカードエンジンが搭載されて機動力が向上し(出力重量比5.2 hp/t)、遊星歯車式変速機の搭載により従来型では4人がかりであった操縦が1人で可能になった[1][3]

また、菱形戦車の特徴でもあった大型尾輪が正式に廃止されており、後方射界が開けたので、車体後部に機関銃が一挺追加されている。

後部キャビン追加で脱溝梁の取り付けが容易になった。

武装はこれまでの菱形戦車と同じく、砲装備の雄型と機関銃のみの雌型があるが[3]、機関銃は空冷式のオチキスに換装され、球状銃架を採用したことで射界を広くとれるようになった[1]

派生型として、マーク V*(スター)型やマーク V**(ダブルスター)型などがある[2]。マーク V*型は、車体を1.8メートル延長しており、前線補給車としても使用された[2]

マーク V***(トリプルスター)型は、計画車輛。マーク V**のさらに高度な改良計画で、エンジン強化(260 hp以上推定)、サスペンション完全統合、車体軽量化を想定し、1919年に提案されたが、未建造・計画中止。マーク X 戦車への移行が検討されたが、軍縮で実現せず。

派生型と生産数

  • 標準型が、雄型(主砲搭載型)と雌型(機関銃搭載型)の各200輌で、計400輌。
  • 標準型とは別途生産の派生型が計約600輌。以下内訳。
    • 雄雌型(Hermaphrodite、ヘルマフロダイト): 雌型車体に雄型の片側スポンソン (57 mm砲1門) を追加。即席改修で柔軟運用テスト。(1918-1919年、中央工廠で少数生産)。
    • マーク V*(スター)型: 車体延長型 (全長8.95 m、重量29トン、オチキス機関銃採用)。輸送性向上。579輌 (雄型/雄雌型、1918年後半生産)。
    • マーク V**(ダブルスター)型: 高出力エンジン (225hp) + 足回り改修型。高速化実験用で信頼性向上。25輌 (1919年生産)。
    • マーク V***(トリプルスター)/マーク X型: 計画車輛。高速菱形重戦車の量産車。計画中止。
    • マーク V コンポジット(Composite): マーク IV前部 + マーク V後部の、ハイブリッド試験型。数輌 (1919年、未量産)。
    • 架橋型 (Bridgelayer、少数)。

よって、マーク V 戦車の生産数は、標準型400輌と派生型訳600輌を合わせて、約1,000輌(戦後追加分含む)である。

戦後の実験改修

戦後、軍縮下でマーク V 戦車は退役したが、中央戦車隊工廠(エリクール近郊)のフィリップ・ジョンソン少佐は、高速機動の実現に向け実験を継続。

1918年後半着手、1919年初頭完成。1919年春(5月頃)のロンドン近郊ドリス・ヒル試験場で公開デモンストレーション。

中央戦車隊工廠とファウラー社(John Fowler & Co.、イギリスの農業機械メーカー)で、ワイヤーロープ式サスペンションの後付け試験を実施した。

正式な型式名はなく、「Johnson's Mark V high-speed modification」や「WD9425 experimental tank」と呼ばれる。マーク V**(ダブルスター、225 hpエンジン、25輌生産)の技術を基にした改修型。

対象は改修前の標準型マーク V 戦車 雌型(車両番号 WD9425)で、リカード(Ricardo)エンジンを標準型の150 hp×1基から225 hp 版(シリンダーボアアップ)×1基に換装し、出力重量比の向上(約7.5 hp/ton)とサスペンションの追加で、抵抗・摩擦を減らし、潜在パワーを引き出した。

足回り(トラックフレーム)を接触長短縮で改修(「マーク V** 戦車」相当にアップグレード)。鋼鉄製ワイヤーロープを車輪(ローラー)とフレームのプーリーに通して連結し、※サーペンタイン履帯を組み合わせ、不整地走行の振動を吸収した(80%低減)。

※地形の左右の凸凹にも追従できるように考えられた、サーペンタイン履帯と呼ばれる物。履帯には木製の緩衝板(ソールプレート)が貼られている。

その他、車体一部軽量化、武装維持(オチキス機関銃)。全体重量は約30トンに増加したが、機動性優先。

試験場所はドリス・ヒル試験場とファウラー社のリーズ(Leeds)工場。結果、平地で20 mph(約32 km/h)、下り坂でさらに高速を記録し、標準型マーク V 戦車の4倍の速度で、J.F.C.フラーの「作戦計画1919」の高速中戦車コンセプトを検証し、支えた。1919年の公開デモで木製ソールプレートの飛び散り事故が発生。ロープ摩耗とメンテナンスが複雑で信頼性不足で量産中止。

この改修は、マーク V 戦車の菱形構造に(つまりは菱型戦車に)、サスペンションを後付け可能であることを証明し、後のマーク D 中戦車に直結した。

輸出例

ロシア革命において内戦が勃発すると、イギリスは70輌のマーク V 戦車と14輌のマーク A ホイペット中戦車を、白軍に輸出し、その内、相当数が赤軍に捕獲され、内戦中の様々な戦闘に投入された。

マーク V 戦車は、菱型戦車の内で、最も輸出例の多いタイプで、戦後のロシア内戦支援が顕著である。

  • ロシア(白軍→ソ連):多数(具体的に59輌が赤軍に捕獲)が連合国介入で供給され、1921年のグルジア侵攻(トビリシ戦)で使用。ソ連軍の勝利に寄与し、1938年まで運用された。
  • エストニア:4輌を戦後保持、1941年のタリン防衛で使用。
  • ラトビア:3輌を戦後保持。
  • 米国・カナダ:連合国として訓練・運用用に譲渡 (301st Battalion等使用後返還)。
  • フランス:100輌 (雄型80輌/雌型20輌、戦前供給)。戦後訓練、1930年退役・保管。

マーク V* 戦車は、延長型として、米国、フランス、カナダに供給され、戦後の訓練に活用。

ベルリン攻防戦におけるマーク V 戦車

第二次大戦末期のベルリン攻防戦において、2輌のマーク V 戦車が、ドイツ軍によって戦闘に投入されて、破壊されたとする説がある。

ロシア革命の内戦中、イギリスから白軍へ送られたマーク Vが、赤軍に鹵獲され、スモレンスクの博物館に展示されていたものが、第二次世界大戦時の独ソ戦でドイツに鹵獲され、戦利品としてべルリンへ輸送され、屋外展示されていたものが、ベルリン攻防戦の戦闘で破壊されたものと考えられる。破壊されたマーク V 戦車の傍には、防盾と車輪ごと、車体上面に載せられていたと思われる大砲(おそらく、第一次世界大戦時のドイツで開発製造された10.5 cm 榴弾砲 もしくは 重野砲)が転がっている。それは明らかにマーク V 戦車のオリジナルの武装ではないし、砲脚が無いことから、砲単体で使われたものではない。ベルリンのマーク V 戦車は、ヒトラーユーゲントによって稼働運用されていたとする説がある。当時は兵員不足から、捕虜の護送はヒトラーユーゲントなどの仕事であった。


「時々、あれは夢だったのだろうかと思う」

彼はその運命的な飛行を思い出して考える。彼とナビゲーターのジョージ・コンプトンが最後に会ったのは、この会議の前に、ベルリン上空で燃え盛るB-17から脱出していたときであった。コンプトンは、片目を失うなど、大きな怪我を負っていた。シュリムシャーはほとんど無傷で帰ってきた。ボンバルディアのジェームズ・コンウェイも無傷で脱出した。砲弾が文字通り彼の足元で炸裂し、弾丸があちこちに飛び交っていたが、彼は触れられなかった。彼はパラシュートで降下し、ヒトラーユーゲントのグループのように見えたものに捕らえられた。彼らは彼のアウターフライトスーツを剥ぎ取ったが、彼は電気加熱式フライトスーツは着たままであった。その後、彼は第一次世界大戦時の砲塔の無い戦車に乗せられ、ベルリンの街路を旅した。

「私はこの古い戦車の中に立って、この鮮やかな青いスーツを着てベルリン郊外を走っている」

彼は戦争のトロフィーになっていた。 — ノースウェスト・フロリダ・デイリーニュース 2003年1月


[1][2] - ベルリン攻防戦で破壊されたマーク V 戦車。背景の建物は、1944年5月24日の爆撃で焼失したベルリン大聖堂である。

保存車両

マークV戦車は、第一次世界大戦後の軍縮と退役により大部分が廃棄されたが、約11輌が現存していると確認されている。

これらの多くはロシア内戦期の遺物であり、ソ連赤軍や白軍に使用された車両である。イギリスのボービントン戦車博物館では、ジョンソン改修車両(WD9425)がオリジナルコレクションとして保存されている。

以下に主な保存車両を挙げる。

場所 型式/番号 備考
ボービントン戦車博物館 (イギリス) Male #9199 アミアンの戦い参加、稼働可能 (展示/撮影用)
ボービントン戦車博物館 (イギリス) V** Female "Ol'Faithful" 戦未使用、戦後架橋改修、第二次世界大戦橋梁テスト
帝国戦争博物館 (ロンドン、イギリス) Male "Devil" 1918年フランス使用、スポンソン一部除去
米陸軍装甲コレクション (フォート・ムーア、ジョージア州) V* Male #9591 1918年ヒンデンブルク線損傷、唯一のV*生存車
クビンカ戦車博物館 (ロシア) Composite 内戦使用
アルハンゲリスク (ロシア) Female 内戦記念碑、1940年展示
ルハンスク (ウクライナ) 2× Composite 内戦ベテラン、2009年修復、屋外記念
ハルキウ歴史博物館 (ウクライナ) Composite 内戦使用
保管中 (ウクライナ/ロシア) 2-3輌 (Composite等) 追加内戦遺物

登場作品

アニメ

のらくろ
1970年のTVアニメ版で猛犬連隊と敵対する敵軍(豚軍、山猿軍)の戦車として登場(ただし、マークIVの可能性もある)。

ゲーム

バトルフィールド1
MarkV ランドシップとして登場。
War Thunder
2025年エイプリルフールイベント「The Great War」の報酬車両として、「Mark V」の雄型が実装。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 上田信『戦車メカニズム図鑑』グランプリ出版、1997年3月25日、19頁。 
  2. ^ a b c 毒島刀也『世界の傑作戦車50 戦場を駆け抜けた名タンクの実力に迫る』SBクリエイティブ株式会社、2011年3月25日、12頁。ISBN 978-4-7973-5995-4 
  3. ^ a b 『世界の戦車パーフェクトbook決定版』株式会社コスミック出版、20頁。 


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