メトロポリタン合同客貨車会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 14:29 UTC 版)
「メトロキャメル」の記事における「メトロポリタン合同客貨車会社」の解説
1902年にメトロポリタン鉄道車両会社は他の4つの会社を吸収し、メトロポリタン合同客貨車会社(英語: Metropolitan Amalgamated Railway Carriage and Wagon Company Ltd)となった。 メトロポリタンは第一次世界大戦中にイギリス陸軍から新型戦車の発注を受け、400両のマークV戦車と改良型である700両のマークV*戦車を製造した。マークV戦車は第一次世界大戦に投入された戦車のなかで、最終形態となったものである。 1917年にメトロポリタンはヴィッカースとともにブリティッシュ・ウェスティングハウス(英語版)の共同経営者となった。1919年にヴィッカースはメトロポリタンに出資することで自身の社名をメトロポリタン=ヴィッカースと改めた。 1926年にメトロポリタンは社名を'メトロポリタン客貨車融資会社(英語: Metropolitan Carriage, Wagon and Finance Company Ltd)とした。 1929年、キャメル・レアードの鉄道車両部門と合併してメトロポリタン=キャメル客貨車会社(英語: Metropolitan-Cammell Carriage and Wagon Company Ltd)を設立、ヴィッカースとキャメル・レアード双方の傘下となった。 メトロポリタン=キャメルはバスの車体製造も手掛け、1932年にはウエイマン車体とメトロ・キャメル・ウエイマン(英語版)を設立した。 第二次世界大戦中にメトロポリタン=キャメルは再び戦車の製造を手掛け、バレンタイン歩兵戦車、Mk.VIII ハリー・ホプキンス軽戦車などを製造した。 サルトレイの工場は1962年に閉鎖され、1967年にグループの本社機能はウォッシュウッド・ヒースに集約された。
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