メトロポリタン歌劇場時代
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「エットレ・パニッツァ」の記事における「メトロポリタン歌劇場時代」の解説
1932年までのスカラ座での首席指揮者としての任期を終えたパニッツァは1934年にアメリカに渡り、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の指揮者となる。1934年から1942年までの期間、パニッツァはメトロポリタン歌劇場におけるイタリア・オペラの第一人者として、ジェンナーロ・パーピとともに同歌劇場の黄金時代を築いた。パーピがロッシーニやドニゼッティといったベルカント・オペラの指揮において敏腕を発揮するいっぽうで、パニッツァが特に得意としたのはジュゼッペ・ヴェルディとヴェルディ以降のヴェリズモ・オペラであった。かのアルトゥーロ・トスカニーニでさえ、パニッツァの歌心を生かした華麗なヴェルディ解釈には一歩譲るとの評も多い。 中でも1938年にジョヴァンニ・マルティネッリ主演によってメトロポリタン歌劇場で上演されたヴェルディの『オテッロ』のライヴ録音は名演として名高い。パニッツァの指揮による『オテッロ』の全曲録音は、トスカニーニの指揮によるラモン・ヴィナイ主演の録音や、戦後のマリオ・デル・モナコ主演による2つの録音と並んで、この名曲の模範的演奏として現在もなお高く評価されている。パニッツァによるメトでのヴェルディでは、1935年にローザ・ポンセル主演で上演した『椿姫(ラ・トラヴィアータ)』のライヴ録音もマルティネッリの『オテッロ』と並ぶメトロポリタン歌劇場の歴史的名演として名高い。ポンセルのヴィオレッタ、パニッツァの指揮、ともに『椿姫』における金字塔と呼ぶべき水準の名演として非常に高く評価されている。 1941年にはジェンナーロ・パーピの急死を受けて、パーピが指揮するはずだったジャン・ピアースのメトロポリタン歌劇場デビューとなる『椿姫』の指揮を担当する。評論家の山崎浩太郎によると「場内の混乱そのままにさえない演奏に終わってしまう。これがメト・デビューのジャン・ピアースにとっては、とんだ災難だった。」との評価が下されているが、今日の視点で聴くと決してそこまで質の低い演奏とまでは言えない。これはあくまで、1935年にパニッツァが指揮した前述のローザ・ポンセル主演による『椿姫』ライヴ録音における圧倒的な名演と比較しての評価であり、あえて1935年の演奏と比較しなければこの1941年の演奏も充分に高い水準にある。 その他、メトロポリタン歌劇場のライヴ録音として音源化され、今日でも高く評価されている演奏は、ローレンス・ティベット主演の『リゴレット』『シモン・ボッカネグラ』、ジーナ・チーニャ主演の『アイーダ』、ジンカ・ミラノフ主演の『アイーダ』『ラ・ジョコンダ』、ミラノフおよびユッシ・ビョルリング主演の『仮面舞踏会』、ジョヴァンニ・マルティネッリ主演の『仮面舞踏会』、リチア・アルバネーゼ主演の『蝶々夫人』、グレース・ムーア主演の『トスカ』などである。
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