マレの反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/20 13:45 UTC 版)
「ブラジルのイスラム教」の記事における「マレの反乱」の解説
バイアで1835年にアフリカ系ムスリム(マレ)による大規模な反乱が発生(マレの反乱)。参加者の大部分は地元でナゴと呼ばれていたヨルバ族であった。マレの多くは、19世紀初頭にオヨ王国やイロリンなどヨルバ系都市国家間の戦争で戦い捕虜となった者であった。他の参加者には、ハウサ族やヌペ族の聖職者、さらにイスラム教へ改宗したりムスリムと同盟を組んで戦ったりしたジェジェ族やダホメー族の兵士がいた。 1835年の1月24日の夜に始まった戦闘は翌朝も続き、アフリカ生まれの奴隷集団はサルヴァドールの通りを占拠。3時間以上にわたり兵士や武装した市民と衝突した。 反乱は短時間で終わったものの、国内最大規模の奴隷反乱であり、都市における奴隷反乱としてはアメリカ州最大のものであった。正確な数は不明なものの、約300人のアフリカ人が参加し、犠牲者は50人から100人と推定。監獄や病院で死亡した負傷者も含めると、この数はもっと増える。多くの参加者が死刑や投獄、笞刑、国外追放処分を受けた。 反乱は全土に影響を与えた。政府は反乱が再発することを恐れ、マレを注意深く監視し、その後数年間は、カトリックへ強制改宗させ、人々からイスラム教の記憶と愛着を消し去ることに力を尽くした。しかしながら、アフリカ系ムスリム共同体は一朝一夕で無くならず、1910年にはいまだ国内に10万人ものムスリムが居住していたという。
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