ポーツマス (軽巡洋艦)
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ポーツマス | |
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基本情報 | |
建造所 | バージニア州、ニューポート・ニューズ造船所 |
運用者 |
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艦種 | 軽巡洋艦 |
級名 | クリーブランド級 |
艦歴 | |
起工 | 1943年6月28日 |
進水 | 1944年9月20日 |
就役 | 1945年6月25日 |
退役 | 1949年6月15日 |
除籍 | 1971年1月15日 |
その後 | 1974年2月26日、スクラップとして売却 |
要目 | |
基準排水量 | 11,744 トン |
満載排水量 | 14,131 トン |
全長 | 610フィート1インチ (185.95 m) |
最大幅 | 66フィート4インチ (20.22 m) |
吃水 | 24フィート6インチ (7.47 m) |
主缶 | バブコック & ウィルコックス製水管ボイラー×4基 |
主機 | GE式ギヤード蒸気タービン×4基 |
出力 | 100,000馬力 (75,000 kW) |
推進器 | スクリュープロペラ×4軸 |
最大速力 | 32.5ノット (60.2 km/h) |
航続距離 | 11,000海里 (20,000 km) / 15ノット |
乗員 | 1,426名 |
兵装 |
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装甲 |
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搭載機 |
水上機×4機 (カタパルト×2基) |
ポーツマス(USS Portsmouth, CL-102)は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の24番艦。その名を持つ艦としては3隻目。
艦歴
「ポーツマス」は1943年6月28日にバージニア州ポーツマスのニューポート・ニューズ造船所で起工し、1944年9月20日にマリアン・M・デール夫人およびサラ・B・リー夫人によって進水、1945年6月25日にヒーバー・B・ブランボー艦長の指揮下就役する。
キューバでの整調後、「ポーツマス」はノーフォークを拠点として1946年の春まで運用開発部隊に所属し行動した。5月にアフリカへの親善巡航に出航し、ケープタウン、ラゴス、フリータウン、モンロビア、カサブランカを訪問、その後地中海へ向かいナポリ、パレルモを訪問後帰路に就く。11月25日に再び地中海に向かい12月7日にナポリに到着、その後トリエステに向かい、1947年2月まで政治的に混乱したアドリア海を巡航した。翌3月は2週間をトリエステで過ごし、4月に帰国する。
11月に入ると地中海東部で活動し、その後1948年3月11日にオーバーホールのためボストンに入港する。オーバーホールが完了すると、東海岸での訓練を再開し、カリブ海で予備役兵の訓練も行った。1949年3月9日にフィラデルフィア海軍造船所入りし、不活性化オーバーホールを開始する。1949年6月15日に退役し、大西洋予備役艦隊で保管される。その後1971年1月15日に除籍され、1974年にスクラップとして廃棄された。
関連項目
外部リンク
「ポーツマス (軽巡洋艦)」の例文・使い方・用例・文例
- ポーツマス条約
- ハンプトンローズにノーフォークとポーツマスの間を流れているヴァージニア南東部の短い川
- ポーツマス講和会議という日露講和会議
- 公園のオープンからわずか2年後の1905年には,ポーツマス条約に反対する人々約3万人がここで集会を開き,交番や電車を襲撃した。
- 例えば,リュイシュン(旅順)での戦いや,ポーツマス講和会議の写真がある。
- ポーツマスが100周年を祝う準備
- 来年はポーツマス条約調印100周年となる。
- 米国ニューハンプシャー州のポーツマスでは,記念行事の準備がすでに始まっている。
- ポーツマスでの日露交渉は1か月かかった。
- ロシアと日本の外交官,セオドア・ローズヴェルト米大統領,そしてポーツマスの人々というすべての人々が,日露戦争を終結させる手助けをした。
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