ボーリンググリーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 22:14 UTC 版)
「キャロライン郡 (バージニア州)」の記事における「ボーリンググリーン」の解説
ボーリンググリーンは元ニューホープ・ビレッジと呼ばれていた。植民地でも最初期の駅馬車道がリッチモンドから郡内を通ってポトマック川まで通じ、そこからはメリーランド州チャールズ郡に渡し舟が運行された。アメリカでも最初期の駅馬車であり、この道路に沿って定期便が運行された。この道路沿いに1700年以前にニューホープ酒場が建てられ、その周辺がニューホープ・ビレッジと呼ばれるようになった。 町の設立者ジョン・ホームズ大佐のプランテーション「ボーリンググリーン」に因んで町名が変更された。ホームズは、1803年に町が郡庁所在地になったときにかなりの広さの土地を寄付した。プランテーションの名前はホームズ家先祖の本拠地だったイングランドボーリンググリーンに因んで名づけられていた。この敷地には北アメリカでも最初期の競馬場が造られた。 1667年にトマス・ホームズ少佐が登記したプランテーションの土地に、ホームズ家の母屋は1741年に建設された。この家は町の目印となり、州内でも初期の状態を保っている最古クラスの住居となっている。ボーリンググリーン農園は現在、バージニア州の登録建造物かつアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。 現在のキャロライン郡庁舎は1835年に建設され、ボーリンググリーンは1837年に町として法人化された。この町は「アメリカ競馬の揺籃」として知られている。国内でも2番目に古いフリーメイソンの支部がある。 1834年認可のリッチモンド・フレデリックスバーグ・アンド・ポトマック鉄道が、近くのミルフォードを通って建設され、1837年にはフレデリックスバーグ市に達した。この鉄道はワシントンD.C.で北部の鉄道と、リッチモンド市で南部の鉄道と接続して重要なものとなり、バージニア州が部分所有していた。1990年代にCSXトランスポーテーションがこれを買収した。主に貨物輸送に使われる南北線となったが、アムトラックの列車も走っている。北バージニアの通勤鉄道であるバージニア急行鉄道の最寄り駅はフレデリックスバーグだが、将来はミルフォードまで延伸される計画がある。これができれば、ボーリンググリーンとその周辺の利便性が増すことになる。 ボーリンググリーンは、リッチモンド市とフレデリックスバーグ市を繋ぐ初期ハイウェイ2本の内の1本、州道2号線沿いにある。後年、アメリカ国道301号線が地域を通って建設され、ワシントンD.C.の東をバイパスして、リッチモンドとボルティモア市を繋いだ。州道207号線はボーリンググリーンから西のカーメルチャーチを結んだ。この道は南北幹線道である州間高速道路95号線とアメリカ国道1号線と交差している。 1941年、アメリカ合衆国政府はキャロライン郡ボーリンググリーンの北と東にある広さ77,000エーカー (310 km2) の土地を取得した。これがA・P・ヒル軍事保留地となった。アメリカ陸軍、後に南軍の将軍となったA・P・ヒルに因み、現在はA・P・ヒル砦と呼ばれている。毎年ここで多くの正規兵や予備役兵が訓練を受けている。1981年から2010年の29年間、ボーイスカウトの全国的なジャンボリーが開催された場所でもある。
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