ボンカレーの開発・普及
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「ボンカレー」の記事における「ボンカレーの開発・普及」の解説
ボンカレーを発売するきっかけとなったのは、会社にあった長期在庫のカレー粉をなくすためだったと言われている。また既に当時、カレーは洋食の「花形」として人気メニューの一つになっており、それだけに競争相手も多く、大塚グループでは「他社と同じカレー粉やルーを作っていたのでは勝ち目がない」と考えた。そこで大塚家の大塚明彦が米国のパッケージ専門誌に掲載された「ソーセージの真空パック」に着目。缶詰に代わる軍用携行食として、お湯で温めるだけで食べられるソーセージの写真を見て、「これをカレーに応用できないか」と発案。大塚化学での約2年の研究開発期間を経て、1968年(昭和43年)2月12日に、大塚食品工業より世界初の一般向けの市販レトルト食品として発売された。当初は阪神地区限定発売とされた。あえてコストの高いビーフカレーにした理由は、牛肉は調理中に煮崩れし辛いことと、当時高価であった牛肉を使うことで高級感を出すためであった。 初期のレトルトパウチ(高圧釜レトルトで高温加熱殺菌する為に食品を封入する袋)は、透明な合成樹脂のみによる2層の積層加工であったが、これは強度に問題があり、輸送中に穴が空くなどの事故が多発した。このため内側のポリプロピレンと外側のポリエステル間にアルミ箔を挟んだパウチに改良して、強度を増した。同時に、空気遮断機能が向上し、光も遮断するようになったため、賞味期限が3ヶ月から2年に延びた。開発当時はまだ高温加熱殺菌の技術が世界的に珍しかったため、賞味期限が2年も伸びるというのは一般消費者には信じられなかったという。翌1969年(昭和44年)4月には、この改良版パウチで全国発売された。テレビCMにはパッケージのモデルである女優の松山容子と俳優の品川隆二を起用した。 ボンカレー発売当時の宣伝は「3分温めるだけですぐ食べられる」という内容のものであった。宣伝からも分かるように、保存性よりも簡便性を前面に打ち出しており、インスタント食品の一種として普及していった。また松山容子パッケージのもので味は野菜ベースであった。当時、20人の営業マンが全国各地の商品を置いてくれた小売店に、9万枚以上のホーロー看板を自ら貼って回って普及に努めた。
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